その頃、紗倉樹は

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その頃、紗倉樹は

ファーストクラスで帰路に着いていた、 紗倉家の当主紗倉樹(さくら いつき)は、 シートに深々と身を預けると、今回の旅について、 あれこれ思いを巡らせていた。 世界中のVIPから、我が庭に桜の木を植えて欲しいと いう依頼が殺到しており、今から注文したところで、 20年待ちの状況である。 樹にとって、紗倉家に生まれたことは、 『桜翁(さくらおう)』という逃れられない重積を 背負うことであった。 ふうっと溜息を漏らした後、樹は、小さな箱から 指輪を取り出して、その桜色に輝く石を眺めた。 10ctはあるかも知れない。 エジプトのクフ王の墓とされるピラミッドのそばで、 老婆が細々と、土産物屋を営んでいた。 その軒先に、指輪はビロードの箱に入って ポツンと置かれていた。 石が放つ光に誘われて、樹がその前に立って眺めて  いると、老婆が出てきて、言った。 「おやおや、これは。とうとう(ぬし)が現れましたな。 有史始まって以来、この指輪は此処で待っていました のじゃ。坊ちゃま、今ならお安くしておきますよ」 更に続けた。 「坊ちゃまの大切な人に贈られるがよろしい。 仮に坊ちゃまの目が曇り、人選を間違っていた場合、 ()めたが最後、指輪は抜けなくなりまする。 指輪はこれでもかと、その者の指を締め付け、 痛みに耐え難くなって外そうとしても、決して 外れませんのじゃ。 遂には、指を切り落とさねばならなくなるのです。 つまり、指輪が主を選ぶので御座ります、 坊ちゃま、今ならお安くしておきますよ」 樹は、エジプトボンドの当日のレートに則り、 日本円にして約一萬円也を現金で払った。 領収書は旅の記念に書いて貰って受け取った。 よく見ると、ビロードの箱の内側には、平仮名で 『てぃふぁにー』と印字されていた。 樹は更に、未来に思いを巡らせた。 僕は、この先の人生で、この指輪を贈りたい女性に 出会えるのだろうか、もし人選を間違えたらと 思うと、おいそれとは渡せないではないか、 ヤバいだろ。 しかし老婆は最後に、こうも言っていたのだ。 「もう既に出会っていらっしゃいますよ坊ちゃま。 その方は案外、近くにいらっしゃるのが見えまする」
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