涙なんて出なかった

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 母は帽子を目深に被り、マスクで顔面を隠している。わたしとは大違いなスタイル。晒された家族の顔写真、わたしも隠せばいいのだろう。マスクは任意となっていても、まだマスクをしている人は大勢いる。 「茜、下ばかり向いてないで」  高校も中退をせざる終えなかった。クラスのラインからも外されたわたし。 「お母さん、青になったら教えて」  スマホに録音した佐奈の声を今度はわたしが拡散して、同じ不幸を味あわせてあげよう。 「ねぇねぇ、ママ。このお姉ちゃんこわい」  小さな女の子と視線が合う。気味が悪い笑顔を浮かべているのがうっすらと画面上に映る。 「茜、繰り返すばかりよ。そんな仕返ししても気分は晴れないわよ」  佐奈が手伝いに来ると言ったときからわたしの様子がおかしいことに母は気づいていたらしい。 「お母さん、どうしたら」 「お父さんの実家に行って、じいちゃんばあちゃんに、たくさん甘えなさい。あたしたちには言えないこともじいちゃんたちには言えるでしょう?」  長い長い信号が青に変わる。東京駅はすぐ目の前にある。もう佐奈やクラスメートの女子の誕生日パーティーに誘われることはない。 「甘えていいのは子供なんだよ?」 「法律上では成人でもあたしたちにとってはいつまでも子供なのよ」  東京駅ですれ違う大勢の人。キャリーケースをガラガラと引いていてもこちらを見ることもない。 * 『東京発新潟行きの新幹線はまもなく出発します』  指定席に座ったわたしは録音した佐奈の声を消した。 「今頃、誰かが燃やしてくれてるわよ。茜」  メラメラと燃え上がる火を見たわけではない。だけど、もう心はすっかり冷えていて。 「空気が澄んでいるといいな」  新天地へ向けて気持ちを切り替えられたのはそばに居てくれた母の力強い言葉のおかけだった。
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