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「おかえり」
部屋着姿の夫はテレビの画面に目を注いだまま告げた。
近頃ずっと、彼は昼食もそこそこに春秋時代の中国を舞台にしたゲーム「呉越無双」を昼休みが終わるまでプレイしている。
このゲームのヒロインは中国四大美女の一人で呉王夫差に嫁いだ越の美女・西施だ。
ただし、主要な女性キャラが一人では寂しいと判断されたのか、同じように越の美女として呉国に嫁がされた鄭旦がサブヒロインというか実質はもう一人のヒロイン格として出てくる。
大きく円らな瞳に緋色の衣装、鳳蝶の髪飾りが西施、やや吊り気味の切れ長い瞳に藍色の衣装、モルフォ蝶じみた浅葱色の蝶の髪飾りが鄭旦だ。
二人は越人であるのだが、呉越の戦いでは嫁ぎ先の呉側として夫差と共に戦うキャラクター設定になっている。
“巣にお帰りなさい!”
これは特に武器を持たない西施が敵を攻撃する時の決め台詞だ。
そう言うと、彼女の背後からまるで神風さながら強風が吹いて紅色の衣装も翻る仕様である。
“この剣で舞いましょう!”
こちらは越女剣を持つ鄭旦が攻撃する時の決め台詞だ。
そして、藍色の衣装を纏った彼女が白刃を一振りすると、周囲の兵たちが一気に斃れる。
率直に言って、夫差や伯嚭のような男性キャラクターよりこの二人の方が戦闘力が高いのではないかとすら思うけれど、そこがゲームとしてのお約束なのだろう。
画面ではどうやら夫がプレイしている呉軍側が勝ったようだ。
ドラマのモードに切り替わる。
“大王様、こちらも貴方様のお膝元になりました”
“そなたたちのおかげだ”
笑顔を浮かべる二人の美女。
しかし、次の瞬間、藍色の衣を纒う方が倒れる。
地に転がる青い蝶の簪。
“鄭旦!”
王者の悲鳴じみた叫び。
場面は切り替わって宮殿の寝室。
病床に伏す鄭旦と看病する西施。
“修明”
鄭旦の字を呼んで細く蒼白い手を取る西施。
“姐さん”
虚ろな目で西施に向かって続ける鄭旦。
“うちにかえりたい”
“うん”
円らな瞳から涙をこぼして頷く西施。
夢を見るような瞳で微笑んでもう片方の手を伸ばして続ける鄭旦。
“あの湖で、また二人で小魚を……”
言葉の途中でファサリと敷布の胸に落ちる蒼白い手。
場面は切り替わって、舘娃宮の庭の池にまた一枚落ちていく朱色の桐の葉に見入る夫差。
傍らには鄭旦の遺した越女剣と浅葱色の胡蝶の簪。
と、そこで画面が停止してデータセーブのコマンドが出た。
「そろそろこのゲームもクリアだな」
夫は呟いた。
「呉越無双」だから恐らく夫差が死んで呉が滅ぶところで終わりなのだろう。
「お腹空いた」
洗面所で手洗いうがいしてまだ小さな口元を濡らした制服姿の玲羽がやって来た。
「お着替えして食べようね」
私はガーゼハンカチでさくらんぼじみた娘の唇を拭いつつ答えた。
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