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 *  新しい祠が、村の奥の高台に置かれた。  高台に上がる道や祠の前の階段は整備され、桜の木なども植えられた。  村人たちは新しい祠に夢中だったが、伸吾は一人、古い祠へ出かける準備をしていた。  祠の引っ越しが明日に迫ったので、最後の掃除をしに行くつもりだ。 「伸吾、今日が最後だな。一人でよく祠の掃除を続けたな。おまえに頼んで良かったって、きっと鶴巻の爺ちゃんもあの世で喜んでるよ」 「おれが三年生になるまで、父ちゃんが祠へ連れてってくれたから続けられたんだよ。爺ちゃんは、たぶん父ちゃんのことも褒めてくれると思うよ」  嬉しそうに笑う父親に見送られ、伸吾は家を出た。  地主神は、明日には引っ越してしまうが、いちおう花も用意した。  伸吾が祠に行くというと、庭に咲いていた紫色の花を母親が切ってくれた。  花の名前は知らないが、あの小さな地主神が喜びそうな可愛いらしい花だった。  祠の森が、今日はやけに賑やかだった。  どうやら、たくさんの小鳥が集まっているらしい。  木の間から、白い人影がちらりと見えた。地主神が、祠の前で伸吾を待っていた。  伸吾が、雑草をむしって乾かし、祠を拭いて竹筒に花を生ける間、地主神は何にも言わずじっとその様子を見守っていた。  一休みしようと、伸吾が杉の木の根方に腰を下ろしても、まだ地主神は黙っていた。 「いよいよ、明日は引っ越しだね。神主さんが、村のみんなを連れてここに来るよ。新しい祠の準備はすっかり終わっているから、安心して移ってね!」    地主神が、何もしゃべらないので、伸吾はしかたなく自分から口を開いた。  立ったまま話を聞いている地主神には、いつものような元気がなく、伸吾は急に心配になった。前に会ったときよりも、どこか頼りなく儚げに見えた。  ちょこんとしゃがみ込み、福々しい顔を伸吾に近づけると、ようやく地主神は声を発した。 「伸吾、すまない。わしは、新しい祠には行かぬ」 「えっ?」 「わしは、この地を去ることにした。実はな、わしが鎮めていた北間川の龍神は、ずいぶん前から川の源の岩屋(いわや)にこもり、小さくなって静かに眠っておるのじゃ。わしも、この地を離れしばらく休もうと思う」 「この村を見捨てるの? 俺たちが、無理矢理引っ越しなんかさせるから?」 「そうではない。わしは、この村もこの村の人も大好きじゃ!」  半べそになった伸吾の頭を、地主神が優しく撫でた。  そして、神さまらしく諭すように言った。 「言ったであろう? 時の流れは人を育てるのじゃ。人が神に頼らず、おのれの力で困難を乗り越えようというのなら、神はそれをただ見守るだけじゃ。たとえ上手くいかなくとも、それは次の育ちにつながる。そうして、時を経て、人はまた新たな力を手に入れる――」  立派な堤防を作っても、洪水は起きるかもしれない。  でもそうなったら、もっと新しい工法を考えて、人々は洪水に立ち向かうだろう。  伸吾にも、地主神が言わんとしていることはわかった。 「そうじゃ! わしの引っ越し先は、おまえの心の中にしよう! これからは、ずっとそこにいよう。おまえは、祠の掃除をする代わりに、これからは自分の心を磨くのじゃ! それが良い! 忘れずに続けるのじゃぞ、伸吾!」  その言葉と共に、伸吾の頭から地主神の気配が消えた。  森に集まっていた小鳥たちが一斉に飛び立ち、一陣の風が森を吹き抜けていった。  伸吾は、慌てて森を飛び出した。  見上げた空には、地主神そっくりな形の雲が1つ、ぽっかりと浮かんでいた。  伸吾は、小さくうなずき胸に手を当てた。  翌日、祠の引っ越しはつつがなく行われた。  そして、その一か月後、新しい堤防の工事が始まった――。
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