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「あ、お疲れ様です」
「……お疲れ様です」
隣の真奈美のテンションが分かりやすいほど一気に下がる。
その横をいつもの無表情で通り過ぎ、志那川は彩夏の後ろのデスクに腰を下ろした。
「あの、志那川さん」
くるりと椅子を回転させて呼びかける。
志那川がここに来て間もない頃のことだ。彩夏は昔の上司にしていたように、用があるたびに席を立ち、その隣で話すようにしていたのだが。
『わざわざこちらまで来て頂かなくて大丈夫です。後ろから呼びかけてくれれば分かりますので』
そう言われてからはずっと遠慮なくそうさせてもらっているのだった。
「何ですか」
半身をこちらへと向けた志那川。
いつも通り細身のスーツに身を包んだ志那川は、その長身もあってまるでモデルか何かのようだ。それだけじゃない。何か塗っている風ではないのにつるりとした肌、きれいに整えられた細めの眉。その下の目はスッと切れ長で、それだけで仕事ができる感が存分に漂っていた。挙句、振り向いた瞬間にさらりと揺れた髪は自分よりずっと艶やかで、自身の女子力の低さを思い知らされてしまったが……ただ、今はそこに気を取られている場合ではない。
彩夏は恐る恐る、といった様子で言葉を続けた。
「もしかして……麻乃さんの件、まだご存じじゃなかったですか?」
彩夏は視線を麻乃のデスクへと向ける。主がいないそこは、やっぱり少し寂しげにも見えた。
「どういうことです?」
志那川の顔がわずかに険しくなる。
「麻乃さん……実は今日、体調不良でお休みなんですよ。こちらには今朝方連絡が入ったとのことでしたが、もしかしたら、志那川さんのほうには、まだ――」
「ああ……その件ならばもう、知っています」
「あ、そうですか。それなら良かったです。てっきり、知らないでこちらにいらっしゃったのかと」
「いえ、というわけでは。少し残っている仕事を片付けようと思っただけです。それが終わればすぐ本部に戻りますのでご心配なく」
「……」
いや別に早く帰ってほしいってことじゃないんですけど、と心の中で突っ込みを入れつつ、いやでもここは何かフォローしないと……と頭を悩ませた彩夏だったが。
「まぁ、そうですよね」
「……?」
「麻乃さん抜きで会議をするのもなんですし……それに、志那川さんだって、ここに麻乃さんがいないと張り合いが無いですもんね?」
……言ってからすぐ、しまった、とは思ったが。でも、こんな軽口を叩いてしまったのはわけがある。
ここで二人が、時に冷静に、そして時に激しく意見を戦わせるのを、もう何度となく見せられてきたからだった。
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