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私はゆっくりと立ち上がった。立ちくらみで一瞬ブラックアウトしそうになった視界の中に、自分と同じ年頃と思われる男性2人を捉える。
「ニーナ、大丈夫よ。下がっていて」
でも、と言いかけたニーナの眉毛がハの字になっている。しかし、王子殿下に命じられて来たというどう見ても貴族階級であろう男性の前に、いつまでもメイドが立っているわけにはいかない。
「大丈夫だから」
言いながら、私は突然現れた宮廷官吏と騎士と思われる二人に礼をした。身体が固くなっていて上手くカテーシーが決まらない。上手く決まらない、という事実にまた、メンタルがやられそうになる。
「使用人が失礼をいたしました」
「いえ、このような場所に急に押し掛けたこちらにも非があるので……」
ニーナと押し問答になっていた騎士服の厳つい顔つきの男とは違う、文官の制服を着た少し柔和な印象の男が、軽く頭を下げた。
突然のことにまだ混乱している私の頭は、二人の姿を見ても咄嗟に状況が判断できなかった。
(殿下が親しくしていた令息方だわ……。でも、名前が……)
思考力と共に記憶力も低下している。以前なら宮廷で関わりのある人間の名前はすぐに思い出せたのに。
逃げ出したい気分になったとき、幸いにも文官らしい男性が名乗ってくれた。
「ルシル・ポヴァードと申します」
「イジェン・ダラゾンです」
「あー……」
そうだった、思い出した。
「カリオス王子殿下が令嬢の様子をご案じになっておりまして――」
「……殿下が?」
立場上、見舞いの使者ぐらいは礼儀として送るかもしれないが、殿下が本気で私を心配しているはずがない。
生真面目で融通がきかず、面白くない女。彼がそんな風に私を思っていたことを、ずっと前から知っていた。その邪魔者をついに王宮から追い出せて、今頃はせいせいした、と思っているのではないか。
「過分なお心遣いを……。見ての通り、元気になってきております。どうぞ、王子殿下にはよろしくお伝えいただければ――」
「令嬢」
強面の騎士イジェンが私の言葉を半ば遮るように口を開いた。明らかな敵意を感じる。
「件のパーティー以来、体調が優れないと伺っておりますが、このような場所で一体何をなさっているのです」
するどい視線が、私がさっきまで積み上げていた石に向けられた。
「あー……、えーっと、これは……」
なんと説明したものだろう。回らない頭で必死に取り繕う言葉を探したが、何も思い浮かばない。
「その……石を積んでおります」
「何のために?」
イジェンの尋問に似た追求が続く。冷や汗が背中に流れる。
「ええと、なんというかその……作業療法的な……」
「サギョ……それは、初めて聞くものですが、どんな呪術でしょうか?」
聞いてきたのはルシルだ。
「じゅ、呪術なんて! 私はただ石を積んでいるだけで、何の意味もありません!」
「令嬢!」
焦って弁解しようとした言葉を、イジェンが遮るようにして叫んだ。
「これ以上見苦しい言い訳を聞いてはいられません。王后陛下の覚えもめでたい宮廷女官だったあなたが、王子殿下から突然、その地位を剥奪された。その後毎日ひと目に付かない河原で石を積んでいる。この状況で、その行為に何の含みもないなどと、誰が信じると思うのです?」
「この際ですから、はっきり申し上げましょう――殿下は、この河原で、あなたが聖女ラーリア殿を呪詛しているのではないかと、お疑いです」
ルシルが、激高寸前のイジェンよりは穏やかな口調で、しかし明らかにこちらを牽制するような態度で、そう付け加えた。
「呪詛……ですか。ハハッ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
殿下はあのパーティーで、私がラーリアを悪意をもっていじめているのだと糾弾した。それは私を遠ざけるための口実として、でっち上げた物なのだと思っていた。
(本気で、私がラーリアを嫌っていびってると思っていたのか……)
しかも、取り巻きたちもそれを信じて、こうして河原まで追いかけてきて、責め立てるんだ……。
自分が万人に好かれるタイプの人間でないことは、わかっていた。努力が実を結ばないどころか、逆効果になって誤解されたことも、1度や2度じゃない。
私自身がカリオス殿下を好いていた訳ではないから、彼に嫌われていることもさほど気にしてはいなかった。
(でも、ここまで自分のことを悪意に満ちた視点で解釈されて、露骨に嫌悪されると、さすがに)
急激に、目の前がにじんできた。いやだ、自分に敵意を向けてくる男たちの前で、みっともなく泣きたくない。女は泣けば許されると思いやがって、という、前世のパワハラ上司の言葉が頭の中に蘇りそうになる。
そこから急に我に返ったのは、背後から乾いた重い音が、ごろごろ、と響いてきたからだった。
「ひとまず、危険がないように、これらの呪物は壊します」
ルシルとイジェンが、この数日間に私が積んだ石たちを足蹴にして破壊していく。
私は言葉もなく二人をただ見つめていた。その姿はまさに獄卒だった。
「ああ、それから、こちらはラーリア殿から令嬢へのお手紙です。自分を呪おうとしている女を気遣われるなんて、本当にお優しいお方だ。確かに渡しましたよ」
吐き捨てるようにそう言うと、二人の鬼は立ち去っていった。
私以上に涙で顔をぐちゃぐちゃにしたニーナが駆け寄ってくる。
「お嬢様、お嬢様……!」
しゃがみ込み、少しだけ落ち着いてから、ルシルに渡された手紙に目を落とした。封が開けられて誰かに見られた痕跡はない。
中の便箋を取り出した。拙い字には、見覚えがあった。
『ふぁどな じょう へ』
(まったく、全然上手くならないんだから)
ラーリアの見慣れた悪筆に思わず小さな笑いが漏れた瞬間、急に、頭に、鋭い痛みが走った。
そして私は、あのパーティーのときに、本当に思い出すべきだったことを、思い出したのだった。
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