或る夜

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「波呂さん、最近引っ越しされたって言われてましたよね?」 そう声をかけた来たのは うちの部署、唯一の女性、事務の笹谷さん。 数か月前、部長の光忠さんが自ら社内で引き抜いてきた人だ。 「うん、色々あってね」 第一印象はただの大人しそうな地味な女性。 でも違った。 まず一緒に仕事をして分かったのは仕事が早く丁寧なこと。 頼んだことはきっちり出来る上に、 彼女は物事に対して柔軟に対応できるから 安心して任せられるし非常に仕事がやりやすい。 そして手を抜かない性格から前の部署の同性からは 真面目過ぎると少々疎まれていたらしいが、 物腰も柔らかく何より男に対して物おじせず 自分の意見も出してくれる。 ……それは部が変わって間もない人間が なかなか出来そうで出来ないことだと思う。 最初こそ自分の好きな上司の傍に 女性を置くことも、そこに俺への思惑ありきも 分かっていただけに反対だったけど…… 愚痴や人の噂も言わない協調性もちゃんとある そんな彼女の姿勢に次第に好感を持つようになった。 とはいえ……あくまで好感であって好意ではないけど。 やはり理由についてまで言及してこない彼女に 別に隠すようなことではないしと、 「うん……駅近で気に入ってたんだけど 半年前に隣に引っ越してきた夫婦喧嘩が 夜中に何度か起こされるほど凄くてね……やむなしだよ」 「あら……それは大変でしたね。 よく休めないのは仕事に支障出ますから」 「ハハハ、だね」 そうなんだ。 だからだよな、きっと。 酒を飲んだくらいで記憶をなくすなんて 失態を犯したのは…… 今度は仕事に何かしらの影響を及ぼしたらと 考えただけでゾッとする。 だから契約更新を機に引っ越しを決意した。
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