3月 ①

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「はい、全然大丈夫です。お話とは何でしょうか?」 緊張しながら聞くと「外に行こう。近くにいい喫茶店がある。コーヒーでも飲みながら話す」課長はコートを羽織り「ついて来てくれ」そう言って私の横を通りすぎ、足早に歩いてゆく。 話って何だろう。 朝のこと?それともマニュアルを見ながら眠ってしまったこと? いくつかの心当たりを疑いながら警視庁から歩いて5分ほどの喫茶店へ着く。 そこは今の東京では珍しく、年季の入った作りでレトロな空気感があった。 ドキドキしていたけれど、明るすぎないオレンジ色の照明とこじんまりしている店内に安心を覚える。 「な?いい店だろ?」 近藤さんは呟いた。私は気を使った訳じゃなく、本心で頷く。 「おお、警視さん、今日は珍しく女性連れかい?かわいらしい子を騙したりしちゃいかんよ」 「新しく入った部下だよ。それよりマスターこれ」 マスターと近藤さんが呼ぶ人以外、従業員の姿はない。 白髪を後ろへ流した初老の男性は、私と身長が同じぐらいで、エプロン姿が似合う素敵なおじいちゃんという感じだった。 近藤課長はビジネスバッグからクラフト紙の袋をマスターへ手渡した。 「いつも悪いね。今回も有り難く頂くよ」 「いいんだ、そのくらい。コーヒーを1つと……望月、何を飲む?」 急に話を振られ「え、あの、紅茶を」慌てて答える。 マスターは「コーヒーと紅茶だね。適当に座って」頷いて奥のカウンターへ戻っていった。 店内を見ると私たちの他にお客さんは誰もいない。 近藤さんは一番奥のテーブル席へ座り、私も対面に腰を降ろした。 「あの、近藤課長、話ってなんでしょうか?」 座るなりすぐに尋ねる。気になって仕方が無かった。 「今朝の件、覚えているよな?」 ……やっぱり、それ。 「はい、もちろんです」 「俺はお前の名前を聞いてすぐに今日から入る新人だとわかった」 「……そうだったんですね。私は想像もしませんでしたけど」 小さく苦笑いを浮かべた近藤課長は「望月は痴漢をされた事実に対して、誰にどう思われようと別にいいと言った。次の被害者が出ないために、と」私の顔を窺うように見る。 「はい、言いました。でもそれがどうか致しましたか?」 「警察学校でもマニュアルでも学んだよな?刑事は最低でも必ず2人以上と組んで仕事をすると」 「はい。刑事に限らず、コンビで動き、何か状況が変われば応援を迅速に呼ばなければいけないと学びました」 「そう、その通り。じゃあ、次に俺が何を言おうとしているか刑事として答えてくれ」 私は思案したが答えは1つしか浮かばなかった。でも、まさか、そんな。 目を泳がせながら「近藤課長、私が思う答えは現実的ではありません」目の前にあるおしぼりを握る。 「現実的?固定観念に囚われていたら、異常ばかりの事件を解決なんてできなくなる」 言われて気づく。当たり前の犯罪なんて、世の中に1つとしてない。むしろ理解できないから、事件になる。 「じゃあ、もしかして……」 胸に不安が広がり、栓をしたかのように続きの言葉が出ない。 すると近藤課長は腕を組み、強い眼光を私へ向けて言う。 「今から俺と望月は、2人で1ペアだ」
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