3月 ①

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照れた様子は無く、親指を口元に沿わせる。唇へ私の視線が自然と向き、その仕草と唇の動きに不意を突かれて胸が脈を打った。 慌てて目を逸らす。 紅茶を飲んだけれど味がしない。 誤魔化すように私は「話は終わりですか?ペアになる件は了解しました。まあ、拒否権が無いから当然ですけど」上司に向かって初日から強い口調で答える。近藤さんは何もしてないのに、怒った声質。 私が席を立った瞬間、「待て。まだ話は終わっていない」それを聞いて説教されることを覚悟した。 ため息をついて腰を下ろし「何でしょうか?」突き放すように返す。 目が合って違和感を抱く。 先ほどまでとは違う瞳の光。真っ直ぐで鋭い視線は変わらないけれど、何かが違う。 彼は熱を帯びた声を出す。 「望月、教えて欲しい」 「……え?」 近藤課長が私へ何かを教えるならわかるけど、私が課長へ教える? 何を? 「ある人が知りたがってる。だが俺には片手すら埋まらない程度しか、恋愛経験が無い。女心なんてもっての他だ」 「……はい?」 いきなりの恋バナ? 恋愛経験が少ない?この容姿で? モテるだろうから恋愛経験は多いだろうなと私も考えたけれど、性格を知れば相談は踏みとどまる。よくこんな仕事人間に相談できたなと思った。 確かに優しいところがあるっていうのは認める。容姿も周りが二度見するレベルだけれど、近づきがたいオーラのため、モテるだろうが恐れ多くて告白できない人ばかりなはず。 それに、近藤課長からガツガツいくイメージも湧かない。 従って恋愛経験が少ないのは頷けた。 相談者は、もっと遊び人だとか、彼女が途絶えないとか、そんな人を選べばよかったのに。 「いきなり仕事以外の話で悪い」 「いえ、それは別にいいですが……その人は何を知りたがっているんですか?」 少しの間。 店内の調理場から洗い物をする食器の音が聞こえた。 近藤課長は初めて視線を落とし、口を開く。 「人は、一目惚れってするものなのか?」 彼とは反対に宙を見上げ「うーん、私は経験ないですが、友達には何人かいます」見た目だけで好きになるなんて、私としてはありえない。中身が大事。 直弥とだって付き合うまでに5年かかった。 「見た目じゃないらしい。突然ナイフで胸を刺されたかのような衝撃を感じたのは、見た目じゃなく……何かが走る感覚。刑事の勘に似ている」 「まだ私は刑事の勘はわかりません。それにしても、相談してきた本人のような言い方ですね」 苦笑いを浮かべて私は言う。 すると近藤課長は瞼を閉じて静止し、1、2秒してから目を開けた。 その真剣な瞳は、私の瞳へ入り込んでくる。 「知りたがってるある人とは俺だ。望月、俺は君に一目惚れをした」
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