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立ちすくんだまま微動だにしない、近藤課長。
言い返せない彼の姿を初めて見た。
「今日の代金はいらん。ただし、この件が解決したら、この老いぼれに焼き肉を奢らせろ」
奢らせろ?
奢れ、じゃなく?
変わった元上司と変わった元部下。
私もいつか変わった刑事になるのか……心配。
『大切な人なら大切にしろ』
『焼き肉を奢らせろ』
たった二つの言葉だけでも、芹沢さんの人となりがわかった。
変わっているけれど人として素敵だということ、部下想いだということ、それに器が大きく、刑事として相手の気持ちを考えられる力が強いということを。近藤課長と同じ。
「……わかりました。異論を言っても聞き入れてもらえないでしょうし」
「ふんっ。相変わらず可愛げが無いな。また近いうちに来てくれ。必ず、やつの本性を洗い出しておく」
この喫茶店へ入って来たときとはまるで別人。
マスターの顔と刑事の顔。
前にユズさんが言っていた『演技力も刑事には必要』と言われたことを思い出す。
マスターの姿が演技か、刑事の姿が演技か、今の私には判断ができない。
「お嬢さん……いや、望月巡査、この頭でっかちを頼みますよ。こいつはこう見えて、繊細なんだ。そして気づいているとは思いますが、柔軟性がなくコミュニケーションがうまくない。俺に言わせれば、まだまだポンコツで半人前。だからあなたの高い柔軟性とコミュニケーション能力で助けてやってほしい」
「い、いえ、私なんて、そんな」
話しやすかったマスターとは違い、大先輩の刑事だと思うと緊張し、返答がたどたどしくなった。
芹沢さんに私の名字は伝えていない。近藤課長も私に対して希子としか言っていない。
でも知られていたということは、きっと調べられている。絶対に。
どこまでの情報を握られているか不安になったけれど、特別知られてまずい経歴はない。
高校も警察学校も平均的な成績で卒業。建築会社のときだって大きなミスはしていないし、平凡の手本でもおかしくないくらい。
ずっと当たらず触らずの人生を過ごしてきた。
「ロールケーキ、凄くおいしかったです。また食べに来ます」
社交辞令ではなく、本心だった。
近藤課長は浅く一礼して「ご馳走さまでした」と言い、出口へ向かってゆく。
近藤課長が先に扉の外へ出る。私も続いてその場を後にしようとしたとき「望月巡査」芹沢さんに呼び止められた。
「……はいっ」
「何事も失敗してもいい。それは君が行動したという証拠だ。何もしなければ失敗はしないが、ただそこに居るだけの置物になってしまう。失敗を怖がる必要はない。失敗は前に進んでいる証拠だからな」
鋭い眼光の中には、揺らぐことのない力があった。
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