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「そのときこそ、マル暴の出番だ。手を出されたり、職務執行妨害が発生するからな。男の浴場には俺だけ行く。希子は逃げ出そうとするやつが居れば逮捕してくれ」
「……わかりました」
了解したものの、私一人で成人男性を止められる自信はない。刺青をしたやんちゃな男性なら尚更。
銭湯の駐車場へ勢いよく車を停めると、近藤課長はキーを座席に置いて、突風のように現場へ向かった。
「えっ、ちょっと待って」
シートベルトを外しながら慌てて呼び止めたけれど、もうすでに彼の姿はない。
置いてけぼりの私は、同じく置いてけぼりのキーを手にし、車を出てから小走りで追いかけながら、ロックボタンを押す。
無機質な施錠音が鈍く響き、寂しげにハザードランプが点滅した。
歌舞伎町の銭湯は駐車場より断然狭く、隣接する雑居ビルに挟まれて肩身が狭い想いをしている。
綺麗とはお世辞にも言えず、半世紀は経っているようなたたずまいだった。
昔ながらの銭湯らしい暖簾に、滑りが悪い引き戸。
中へ入るとザ・銭湯という作りで右の男性浴場と左の女性浴場の真ん中には番台がある。
そこに座っていたのは、80歳は過ぎているお婆ちゃん。険しい顔で貧乏ゆすりをしていた。
「あの、すいません」
「いらっしゃい。悪いけど今はボイラーの調子が悪くて、お客さんをお断りしているよ。せっかく来てくれたのに、申し訳ないね」
「いや、私は入りに来たんじゃなくて……警察です」
手帳を取り出し見せると「ほぉ~、人は見た目によらないとは、よく言ったもんだね」目尻にシワが目立つ瞼を上げる。
「なったばかりなので、まだ全然警官とは呼べませんが……先に来た背の高い男性の警官はどこでしょうか?」
「近藤さんなら、もう中へ入ったよ。こんなに早く来てくれるなんて、思いもしなかった。いつもの優しい顔とはまるで別人で驚いたよ。私は60年早く産まれてしまったわ。若かったら、振り向いてくれるまでアタックし続けたんだけど。あ……もしかして、あなたが希子さん?」
「え?なんで私の名前を知っているんですか?」
「あの人、この辺りをよく見回ってくれているから、ちょこちょこ話をしているの。先日、今までに見たことがない輝いた目で近藤さんは話してくれたわ。大切な人ができたって」
「……えっ」
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