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「っいって。何するんだ、お前」
中年の男性は呻き、粘りがあるような声質を上げた。
「何するんだ、だと?」
やっと私が振り返るとイケメン男性が中年男性の手首を、捻っていた。
頭髪が薄く、油で照る肌、スーツは着ているが清潔さを感じない姿。
「俺はただ突っ立っていただけだ。何も変なことはしてない」
「変なこと?俺は何も尋ねていないんだが」
動揺する痴漢男を言葉でも追い詰めていくイケメンさん。
男の子に対して行ったように、睨まれた痴漢男は「うっ」とだけ声を漏らした。
私は恐怖から解放され、震える自分の体を抱き締める。
怖かった。命の危険すら感じるぐらい。もしかしたら抵抗すれば刃物で背後から刺されていたかもしれない。
イケメンさんは振り返った私を見て「大丈夫か?」心配した様子でうつむいた私を覗き込んだ。
落ち着こうとしていた脈の早さが、再び早くなる、そんな顔で見られたら、直視できない。
「……はい、大丈夫です……ありがとうございます」
やっと声を押し出して答える。
「顔色が悪い。せっかくの美しい顔が台無しだ」
「えっ?」
もしかして新手のナンパ?
痴漢男も仲間で、自作自演の反抗かもしれない。怖がり、弱った女性にここまで落ち着いて対応できるなんて、普通ならおかしい。
「内容が内容だ。次の駅で降りよう。君は落ち着く必要があるし、この男を交番まで連れていかないといけない」
「……いや、でも、今日から仕事の初日で遅れる訳にはいかないんです」
「そうか。でも被害者である君が同行してくれるか、してくれないかで状況はまるで違う。とても酷なことを言っていることはわかっている。だが、どうか頼む。こいつが解放でもされれば、また被害者が必ず出る。お願いします」
イケメンさんは痴漢男の腕を固定しながら、願うように頭を下げた。
その真剣な表情でナンパでも自作自演でもないとわかる。何より、あのおばあちゃんへの気づかいが嘘な訳ない。
また被害者が出る、か……
セリフまでイケメン。
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