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18、来降(らいがう)
女王は王配と共に皇居上空200メートルのポイントにいた。
彼女は全身で「来降」を行っていた。あの分家に注いだ光を日本中に皇居から振り撒いていた。
身体は胎児のような姿勢だった。夫である王配は、瓦礫をエネルギーに変えて妻に補充していた。
夫は「無尽蔵ATM」だ。
夫の右手は瓦礫をエネルギーに変え、左手は妻の肩に置いていた。エネルギーは夫の体を通して妻の肩に補充されていた。
人間には見えない光。それは生きるエネルギーそのものだ。生存欲求を高めている。
それを通じてメッセージも送る。メッセージは光そのものになって人々の心、柱達の心に注がれる。
私たちは一人ひとりが社会を構成する一つの細胞である。
一人ひとりの役割は違う。
幸せも不遇な出来事もひとりひとり違う。
個人の人生は全て唯一のかけがえの無いものだ。その尊さに気づいてくれ。
他人と自分を比べないでくれ。尊い自分の存在を愛してくれ。
女王のメッセージは、人間には言葉として伝わらない。それは概念の光となって注がれ続けている。
受け取る者は受け取るし、受け取らない者は受け取らない、そんな光のメッセージだ。
見守る神の限界が「来降」だ。この奥義の消耗は想像を絶する負担を女王に与える。
150時間。
我ながら大きな花火を打ち上げたものだと女王は可笑しくなる。
でも、大丈夫。夫がいる。夫は「無尽蔵ATM」。女なら誰でも欲しいATMだ。
アオイは私を支え続ける。そう信じているからできることだ。
「来降」を行う時、女王は何時も不思議な感覚にとらわれる。まるで自分が太陽そのものになったような、太陽に吸い込まれるような気分だ。
身体の在りどころも、心の在りどころも全く曖昧になる。
「来降」は自分そのものを燃やしている気がする。
苦しいけれど幸福感が女王を支配していた。それはランニングハイに似ていた。
見守る神とは、このような存在なのだ。
日本人は森羅万象の中に自分が生かされている奇跡を感じることができる民族だった。
世界の他民族とは違う概念を持ちながら歴史を繋いできた。
今、この時。それは「一期一会。」という言葉に集約される。
全ての出来事は一回きりの奇跡。
似たようなことがあっても同じことは一つとてない。
その尊さを知っているからこそ、他者を尊重する「おもてなし」の文化が発生した。
こんな民族、世界中に日本民族しかいない。
龍の上に住む日本人は、この考えがなければ生きていけなかった。繰り返し起こる破壊。そして、再生。
どんなに外国から踏みに弄られても、恨みを長く持つことはない。
第二次世界大戦の2つの原子爆弾でさえ、恨んでいない。歴史的に鑑みてそれは新たな時代への「尊い犠牲」と受け止める。
大陸の国の民族とは根本が違う。
100年近くも過去のことを理由に補償を求めたりはしない。神道は、そんな民族だから「テンプレのお祈りの言葉」もないのだ。
日本人は、その存在こそが尊い民族だ。
個人間の争いごとは多くても、最後は寄り添って、集団となってどん底から立ち上がる。
それは歴史が証明している。
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