4、千葉県市原市

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4、千葉県市原市

千葉県市原市は、JR内房線沿いにある。丁度JRの線路を挟んで山側は昔からある丘、海側は元は海だった場所である。元は海だった場所は埋め立てられ、大企業の工場群が乱立している。中でも、トウデンが目立つ。 バブルの好景気の時は、ショッピングモールができるはずだった駅は、今はしょぼくれている。 バブル時には1億を超えた近隣の新築一戸建て住宅の価格も令和の今は3000万がいいところだ。バブルの頃、家を買った団塊の世代は、大きな外れくじを引いた。 「家を売れば、老後資金は大丈夫」 ほとんど新興宗教の信者のように、皆、信じていた。 バブルが弾けて、住民の中には自己破産した者も少なくなかった。夢のマイホームは悪夢に変わった。 昭和30年代生まれのその女は年上の夫が亡くなって、2人して苦労してローンの完済した家を売ろうかと思った。購入代金、4200万。それが、売却査定2〜300万。詐欺のような投資だ。笑いしか出なかった。 この家を買った時、夫婦2人とも東京生まれなので「東京」に対するこだわりが有った。でも、当時は古い中古住宅でも一流企業に勤めているはずの、それも管理職の夫でも「東京の中古」は買えなかった。 夫は、新築一戸建てにこだわり、結局はこの僻地に一家で引っ越してきた。夫は当時「投資」と言っていた。 不動産は下がることのない資産だと日本人は思い込んでいた。 2人の子供達は、士業についた。教育費は総額を計算したくないくらい掛かった。 今、この僻地の「市原の田園調布」は、ゴーストタウンだ。 団塊の世代が75になってからは、ますます拍車がかかっている。妻は大きな一戸建てに1人で住んでいる。 夫は59で若年性アルツハイマーになり、その介護にも莫大なお金がかかった。 人並みの苦労をして、順当に歳をとった女にある一本のラインメッセージが入った。 「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……」死ねのオンパレード。100個は書いてあった。呆れた。 相手は姪だった。 姪は、26歳。家に引きこもっている。女の妹の娘だ。シングルマザーで子供を育てた妹の娘。 この子は、いつもそうだ。何でもかんでもにする。 不登校になった理由も女には理解不能だった。 「クラスに女の子をブスという男の子がいる。あんな下民と一緒の程度が低い学校には行かない。」だった。 それは、ひっくり返すと「自分がブスなので言われているかもしれない」という劣等感の変化球としか女には思えなかった。 自分の子ならば、そこを突いて徹底的に論議するのだが、妹の子なので放置するしかない。 少し、説教すると「死ね」が帰ってくる。人間には違う言葉もあるのに。 姪の思考は「他人を下に置いて、それでようやく成り立つ自己」の体現だ。どんな精神科医も治せない。病気ではないのだから。 姪は分かっているのだろうか。自分の人生の持っているものが、時間と共に償却されるのを。 母親である妹も「事象の深刻さ」に気がついていない。 「あの子は子供なの。今の子は死ねってバカと同じ程度で言うよ。30までには大人になると思うの。」 「死ね」も「バカ」もNGワードでしょう? 生粋の東京人は「バカ」という言葉を結構連発する。でも、「アホ」と言われると烈火の如く怒る。関西は逆なようだ。 女は姪が17歳の時、姪と縁を切った。きっかけは「死ね死ねLINE」の初発である。理由も妹に言った。「その行動はいい悪い以前の問題だ。今後一才、姪とは思わない。お祝いもしない。」 そう言ったのに、たまたま顔を合わせた時に面と向かって「悪いと思っているのに、なんでお祝いくれないの!」と姪は親族の前で泣き叫んだ。当時姪は二十歳過ぎていた。 女には姪からの「死ね死ねLINE」の何が悪いのか、どう理解したのかの話は無い。ごめんなさいという言葉もない。 悪いと思っていたとしても、その気持ちは相手がテレパシーでも持っていなくては分からない。
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