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2011年3月11日。東日本大震災の時、市原の工場が爆発した。
それは凄い音だったと言う。市原の田園調布の住民は丘の上に建つマンションの屋上から皆、携帯で写真を撮った。
本当の「高みの見物」だ。覚えている人もいるだろう。コ○モ石油市原工場の大爆発。
この丘は海抜100メートル。その上のマンションは12階建。4つの建物からなる。
女の亡夫は、「ここは津波だけは大丈夫」と意思疎通が成り立つ最後の頃も言っていた。
家の近所には古墳群が広がる。爆発写真撮影のベストスポットとなったマンションは、建設当初、古墳群が出てきてしまったので建設計画から大幅に着工が遅れた。
お陰で同じマンションなのに買った時期で購入金額の差が大きくなった。それさえも、住民同士の差別化につながった。
第1期のバブル前、2、3期のバブル真っ只中、4期のバブル崩壊。それによって住民同士で「あの家、東西南北のどこ?」と言ったランク付が横行した。流石に現在は皆年寄りになって聞かなくなった。もっぱら年金の話で盛り上がっている。
この丘の上も「猿山」であることに変わりはない。
みんな貧乏なふりをする。
でも、本当にお金に困っている人は居ない。仮にも『田園調布』だから。
「年金が少ない。」これは老人同士の謙遜なのか。妬まれないための自己防衛なのか、女にはさっぱり分からない。
この猿山には、夫と同世代か、それ以上の老人しかいない。
亡くなった夫は施設介護になるまで、何かの妄想に取り憑かれたように、防災の準備をしていた。
台所の床に2リットルの水のペットボトルを並べ尽くした。女が食事の支度ができなくなるくらい。それを減らせと言った時には恐ろしい顔で睨み返してきた。何個ものヘルメット。数えきれない懐中電灯。
夫が亡くなった後、女は大きなキャンプのクーラーボックスを発見した。そこには非常用の食品とガスボンベ、カセットコンロ、簡易な救急セットが入っていた。
自分の為だったのか。歳の離れた妻を思い遣っての事だったのか、分からない。
台所の戸棚にも鍵がつけてあった。
夫が亡くなって4年。夫のことを思うと涙が滲む。でも、一度も泣いていない。
2011年3月11日、女と夫は入院中の女の面会にきた夫と2人でいた。
階段でパニックを起こした妻を夫は引きずるように病棟に連れて行った。
結婚して何十年も経つのに「あなたと死ぬ!」と女は泣き叫んだ。
夫は先に逝ってしまった。
女は未だ生きている。
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