1、月の階段

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ

1、月の階段

「橙色の世界」に居た翌日の夜、カケルと桃花は、世話人という名の看守達に月の階段に連行された。 この階段を降り始めると10段も降りないうちに高天原の記憶は全部消える。100段降りる頃には身体も人間になる。『龍の島国』に足がついた時、新しい人生が始まる。架空の過去とそれを証明する記録と個人情報は既に事務方の役人が用意している。罪人の消えた記憶の穴に新たな架空の過去が嵌め込まれる。 カケルは妻を亡くした30代前半のトラック運転手。桃花は小学生。江戸川区の2DKのアパートに住む。普通の一市民になる。 時が来れば死ぬ。普通になんらかの原因で死ぬ。人間はそれで終わりだ。 カケルは「神澤翔」。桃花は「神澤ももか」。 名前も変わる。 階段口に立った2柱は、振り返って「世話人達」にお礼を言った。 カケルは満面の笑みを浮かべていた。 「今まで俺の面倒をみてくれてありがとう。迷惑ばかりかけていたな。すまないとも思っている。でも、ありがとうが一番に似合う言葉だ。ありがとう。」 桃花は少し微妙な顔をしていた。その顔は世話人頭のヒビキの方を向いていた。 「本当はね、父上とヒビキに会いにきていた。ヒビキには私はどのように見えていたのだろうか。」 ヒビキは、穏やかな顔をして言った。 「分かっておりました。貴方様はお父上思いの優しい女性です。」 桃花も満面の笑みを浮かべて「そうか。それだけで十分だ。ありがとう。」 それだけ言うとカケルと桃花は手を繋いで、階段を降り始めた。 月の階段は人間の目には見えない。 在る者(神)になっても、ほとんどの者が月の階段で人間に戻っていく。 不老不死は地獄そのものであると気がついてしまう。同じことの繰り返し。 期間限定の人間の生は旅である。旅は発見であり『学び』だ。 明日がどんな日か分からないことでさえ胸が高鳴る。 高天原にいる在る者(神)達は、お役目を延々と続けられる者だけなのだ。 高天原のお役目は、人間社会の仕事に似ている。だが、会社のような組織は「王宮関連のお役目」だけだ。それ以外は、水脈と電力の管理である。勿論エネルギーは太陽光だ。 それ以外は、自分の適性を理解し、芸術活動をするものが『龍の島国』より圧倒的数がいる。 彼らは少ない高天原の娯楽を提供する。画業、文筆業、造園業などのクリエイターが殆どだ。 後は教師。学校教育、クリエイターの育成を担う。 造園は特殊だ。造園のデザイナーと職人集団。これも数が多い。高天原の草原、森を永遠に刷新し整え続ける。 仕事がなければ「永遠」には耐えられない。 人間は誤解している。仕事(お役目)は「金」のためにしているものではない。 お役目は「生きるよすが」なのだ。 1人でできる仕事など何もない。 フリーランスは1人で営業し契約を取り、仕事をして報酬を得る。最初から仕事の依頼がくる訳ではない。 営業の中で沢山の人間関係を結び、実務でキャリアで積む。人のネットワークが不可欠なのた。 コミュニケーション能力が低い人間は苦労する。人付き合いが下手ではやっていけない。 人が苦手だから、フリーを目指すという考えは、そもそも最初の段階で失敗が見えている。 カケルもこれからそれを学ぶ。 桃花は勿論学ぶ。小学生だ。 「月の階段」は再生装置なのだ。 だから、門出を祝うように美しい白い螺旋階段になっている。
/53ページ

最初のコメントを投稿しよう!