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プロローグ
燭台の灯す明かりが、ちらちらと揺れている。
息をつめたような沈黙の中――……。
クリスティーナは、その訪問者の視線を全身に受けていた。
身に纏っているのは、肌に貼りつくような薄絹のナイトガウン一枚だけ。
こんな姿では、彼の視線の前では酷く無防備に感じられる。
厚く引かれた金襴のカーテンは、窓の向こうにあるはずの月光を通すことはない。
煌びやかな調度品の影が室内に揺れ、まるで、無数の監視者に見張られているような錯覚を覚えた。
ずっとすごしてきたあの小さな部屋よりも、……この豪奢な寝室は圧迫的に感じられる。
怯えて震えているクリスティーナを見据え、彼は忌々しげに眉をひそめている。
どうやら、……酷く苛立っているようだ。
(どうして、怒っていらっしゃるの……?)
怖かった。
しかし、戸惑い怯えるばかりで、クリスティーナには何もできなかった。
すると、黙ったままでしばらくクリスティーナを見つめていた男が、ふいに口を開いた。
……つい今しがた交わした会話の、続きの言葉を。
「――わかっているな、クリスティーナ。君は今夜、この部屋で俺のものとなるのだ」
「!」
ほとんど命令的なその言葉に、……心臓がどくんと跳ねる。
この部屋で、このまま彼のものになる。
それがどういう意味かは、まだ男に触れられたこともない十九歳のクリスティーナにもさすがにわかった。
口を開いて、許しを乞こいたい。
何とか見逃してもらえるように。
……しかし、その権利は、クリスティーナには与えられていなかった。
クリスティーナは、『嫌です』と答える代わりに、薄桃色の唇を小さく開いた。
「は……、はい……」
微かに顎を引き頷いたクリスティーナに、男が近づく。
思わず何歩か後ろへあとずさったクリスティーナの体を、男の腕が強引に絡め取った。
「……逃げるなよ。俺に抱かれたいんだろう?」
低く響く、鋭い声。
その声の主は、隣国エルザス王国の王子であり、今はこのクレフティス王国の支配者でもある男――レスター・キャリアスト・アーベルだ。
ダークブロンドの艶めく髪に、冷え冷えとしたアイスブルーの瞳。整った白皙はいっそ青ざめてさえ感じられ、彼の怜悧な顔立ちを造り物のように見せていた。
通った鼻筋も薄い唇も、……クリスティーナの知らないものだった。
「……それは……。あっ……」
何か言おうとする前に、クリスティーナの唇は塞がれていた。
きつく強く、まるで噛みつくように唇を吸われる。
ほとんど厚みのないナイトガウンの布地越しに、体に密着するようなレスターの熱い体温を感じ――それでも、クリスティーナに抵抗するという選択肢はなかった。
激しいキスを受けたまま、クリスティーナは、レスターによって無理やりベッドへと連れられ、押し倒されてしまった。
「っ……」
シーツの海にうずまった衝撃と驚きに、クリスティーナの呼吸が止まる。
戸惑うクリスティーナの肢体に、容赦なくレスターの重く熱い体が上に圧し掛かってきた。
しかし、それ以上手を進めることはせず、レスターはクリスティーナを見つめたまま、囁いた。
「クリスティーナ……。俺は君を愛している」
……一瞬、何を言われているのかわからない。
けれども、少し考え、自分が言わなければならない『台詞』に気がつく。
「――わ……、わたしも、あなたのことを、愛して、います……」
……嘘だった。
声には存分に震えが交じり、それが真実でないことを如実に物語っている。
彼は、その返答にふっと笑った。
笑って、言った。
「では、俺達は、愛し合う二人というわけだな」
嘲笑うような声が、彼の喉から響く。
しかし、否定するわけにもいかず、クリスティーナは頷いた。
「そ……、そのように思います……」
彼の意のままに、彼の意に添うように。
彼の心がどこにあるのかわからないままに、クリスティーナはただ目の前の王子に従っていた。
「そのままいい子にしていろ、クリスティーナ。この国の支配者であるこの俺に従うことこそが、この国の先代王の娘たる君の務めなのだから……。君は、俺だけの姫だ」
その声に、クリスティーナははっと目を見開いた。
……彼は間違っている。
戸惑いよりも先にそう思い、クリスティーナは制止の声を上げた。
「まっ、待って……。わ……、わたし……、違っ……」
――自分は姫ではない。
そう思ったが、また唇をキスで塞がれ、意味あることを口にすることはできなかった。
「王族ならば、国の危急にその身を差し出すのは当然のことだ。君の生まれたこの国を守りたいのなら、俺の子を産むんだ。……クリスティーナ」
……観念して、クリスティーナは体から力を抜き、ぐったりと柔らかなシーツに沈み込んだ。そして、そっと唇を噛む。
――こんなことまで、自分はしなくてはならないのか。
この国が、自分にいったい何をしてくれたというのだろう。
熱い涙がまなじりを伝い、シーツの海へと落ちていった。
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