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 *  しばらくは事務仕事メインで大人しくしていたが、年が明け、大雪や雪崩などの災害がいくつか発生し、正寅も最前線にこそ行かなかったものの、分析や事故検証に入ることも増えていった。  2月も後半に入り、春が近くなってくると、意外と暖かい日がやってきたり、かと思えばとてつもなく寒い日がやってくるので、雪山は特に危険になる。  雪山の遭難事故などは、山岳警察などが対応するので、災害救助隊が直接山へ入ることはほぼないが、麓の町村で雪崩の被害が出た場合などは救助の支援に入る。  黒砂の洞窟での被害から4ヶ月ほどが経ち、体の傷はもう通院が不要になって、正寅も通常訓練や出動に参加できるようになっていた。問題は精神的な問題で、正寅はしばらくの間、閉鎖空間や水中や海の近くに行くとパニックになりかけた。というか、なっていたのだと思う。激しいパニックではなくて、ひゅっと真空空間に取り込まれたみたいに息が苦しくなって、その場に居続けるのが難しかった。死ぬんじゃないか、という感覚は、事件以来、四六時中あったので、その時に限ったことではなかった。  カウンセリングにはきちんと通った。  死の恐怖は空気のようにありすぎて、ある意味気にならなかった。もう諦めるしかない。人は死ぬし、自分だっていつ死ぬかわからない。恐怖というよりは諦観みたいなものが染み付いていくのは、入院中に感じていた。  だからといって、人生を無駄にしようという気持ちにはならなかった。それに、怯えて冒険ができないということにもならなかった。  ただ、自分のコントロールの効かないものである以上、悩んでもしょうがないといった気持ちだった。  そんな悟りを開いたみたいな境地にいる正寅を、周りは少し心配した。  事件のショックで何かの感情が欠けてしまったんじゃないかと言われたこともある。が、正寅にとっては何も変わったところはないつもりだった。自分は以前からこういう人間であり、考え方も大きく変わったわけではない。もちろん事件は自分を大きく揺るがした。  信頼していた人にいきなり暴力を奮われたのはショックだったし、わけがわからなかった。相手が異父兄弟というのも「は?」という気持ちでいっぱいだった。どうしてさっさと告白してくれなかったのか。どうして両手を広げて迎えてくれなかったのか、とも思う。そういうったことに対しては、当惑の方が大きく、人間不信というよりは、世界というか運命とか宿命みたいなものへの不信になった。  そんな中でも、琴葉や母はかなりしっかり支えてくれた。これは彼女たちに言わせれば、今まで受け取った『重すぎる愛』の利息であるらしかった。正寅には何が元本になったのかわからなかったが、以前の家族への愛が積もり積もって、今返却されているという話で、正寅は肩をすくめた。それなら自分はもう既に受け取って、借りもあるような気がしたからだ。それで、いつか2人をハワイにでも連れて行くと言ったら、2人はローマがいいとかパリがいいとか好き勝手なことを言い始めて、正寅は閉口した。
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