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「僕、桜庭さんに退職勧告受けたと思うんですよね。休職願いを出したら、これだけ騒ぎを起こして、迷惑かけて、何考えてる、クビだって」  コーヒーを3人分入れて、木製のテーブルにつくと、正寅は中澤に言った。 「そういう話は聞いております。ただ、御崎さんの能力は高く評価しており、既に問題もなくなったのだから、戻って来てもらったらいいと」 「え……でも僕、隊に見捨てられたんだなって思ったんですよ。今になってこんな話……ちょっと意味がわからないです」 「正式に、退職扱いを撤回することも決まってます。どうか戻っていただけませんか?」  中澤が頭を下げ、正寅は眉間にシワを寄せた。 「僕が戻ることで、隊に何か利益があるんですか? 僕のことなんて忘れてると思ってました」 「忘れるなんて」  中澤はそう言ってから、小さく息をついた。 「正直、申しますと、去年、隊の訓練生が自死しまして。それが隊の訓練時のパワハラが原因じゃないかとメディアにも叩かれ、根も葉もない噂が飛び交って火消しが大変でした。そのついでと言っては何ですが、御崎さんの件も話題になり、御崎さんは無実だったにもかかわらず、隊はクビにしたと問題視されました。どこから情報が出たのか、御崎さんは休職願いを出したのに、退職させられたということも言われまして、上から調査指示も出ました」 「うわ、大変だな」  正寅は自分が巻き込まれた騒動を思い出して、吐きそうになった。 「御崎さんは退職してません、戻ってきます、と桜庭が言ってしまいまして」 「何、それ。勝手に決めないでほしいです」 「ごもっともです。ですが、再考いただけないでしょうか」  中澤は無茶を承知でという感じで頭を下げた。 「ちょっと待ってください。そんなの……」 「休職分の給与補填、戻られた場合の待遇などは、こちらに記載してあります。メールでお送りしたものと同じではあるんですが、おそらく受領されてないと思われますので、印刷してお持ちしました。また、以前、並行して行われていた岩石調査についても、今回大幅に許可範囲を広げ……」  中澤が封書を差し出し、正寅は首を振った。 「いや、これ受け取ったら戻るってことになっちゃうって罠でしょ。ダメです。持って帰ってください」 「そういうものではありません。これは資料であり、打診です。もし御崎さんが他に要求がある場合は、聞いてくるようにとも言われております。ですから、何でもおっしゃってください。桜庭によれば、御崎さんは装備品への要望も高かったと」 「新しいロープ買ってくれって言ったら、桜庭班長に却下されたってだけです」 「装備品は整えます」 「いや、そういうことじゃなくて」 「トラ、落ち着け。これは一旦受け取って冷静になって考えてみろ。それから断るなり、受け入れるなりすればいい。おまえは今、ちょっと困惑してるだけなんだから」  奥谷が言い、正寅は口を閉じた。  確かに困惑はしている。が、災害救助隊に戻るという選択肢が正しいとも思えなかった。ただ都合よく利用されるだけじゃないのか。 「戻ったら、また桜庭班長の下でしょ? どうせ桜庭さんが『私が戻れって言ったら、御崎は喜んで戻ってくる』とか豪語したんでしょ」  正寅が言うと、中澤はぐっと言葉に詰まった。ほらそうだ。それで正寅が無視していたものだから、上にせっつかれたか何かで、代理にこの人が来たんだ。 「それもありますが、津村部長の命でもあります」  正寅は軽く笑った。 「津村部長って僕、会ったこともないのに。接点ないですよ」 「いえ、本当です。こちらの書類にも部長の一筆をもらってます。御崎さんが渋るのは当然だろうからと」  中澤が封筒の中から一枚をするりと出した。  そこには3つに折りたたんだ便箋があった。開いた紙には、ペン習字のお手本みたいなきれいな文字が並んでいた。 「津村部長は、報道で御崎さんの状況を知ってとても心配されていました。もう一度復帰できないかと根回しされたのは部長なのです。桜庭班長はそれに乗ったというか……」 「トラ」  奥谷がずしりと重い手を正寅の肩に置いた。 「請われるってのは、名誉なことだぞ。よく考えてみたらどうだ」  人情に弱い奥谷が圧をかける。加勢を得て中澤も意気込む。  正寅は黙って2人を見た。 「少し考えさせてください」  そう言うのが精一杯だった。
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