7人が本棚に入れています
本棚に追加
3
「全部思い出した……」
湊はそう呟いていた。頭の中にある記憶。それは自分が二十歳の大学生で、バスの転落事故に遭ったということだった。
奇跡的に生きている、いや、近くにバスがないことを鑑みれば別の場所に飛ばされたと考えるのが自然な気がした。自然? と今の現状に疑問を持つ。
日本であって日本じゃない、自分が知っている世界とは明らかに違ったこの場所にいることが果たして自然といえるのか。
考えれば考えるほど頭が混乱してくる。自分は本当に生きているのか、無事なのか。
「湊さんのお話が本当なら、やっぱりそれは異世界であるこの世界へ飛ばされたってことになるのかな。湊さんが倒れていた辺りにバスなんて走ってないし、そもそも道路もないような森の中ですから」
詩は真剣な眼差しで彼を見た。湊の話を真面目に聞いてくれている。異世界から来たという滑稽な話も信じて。
「でも、これだけは言えますよね。湊さんは、今こうして生きているってこと。それだけは事実じゃないですか」
自信のある彼女の言葉に湊の心は震えていた。見たこともないような異質な世界。愛情を電気で送られるようなありえないところだ。
湊にとっては不安でしかなかった。この先どうすればいいのか、元の世界へ戻ることは可能なのか、家族は? 友人は? 色々な不安要素がある中で、目の前にいる女性は優しい言葉を投げかけてくれる。それがありがたかった。
「……ありがとう」
「私たちでよければ、いつでも頼ってください。もうそんな話を聞いて、放っておけないじゃないですか。住むところとか、余ってる部屋があるのでここにいて構わないですよ。いいよねお母さん?」
「え、あ、うん。もちろんもちろん」
母親は明らかに突拍子もない提案に面を食らったような反応ではあったが、彼を受け入れてくれた。
「ありがとうございます。本当に、見ず知らずの人間にここまでしてくれて」
目の奥に涙が滲んでくる。人の優しさに触れた気がした。
「じゃあ、案内しますね」
彼女は湊を連れてリビングを出る。この家は二階建てのようで、リビングの他にも色々と部屋があるようだった。ここはトイレ、こっちは浴室でここが私の部屋です、とテンポよく自宅の紹介をしてくれる。
廊下の突き当たりにある部屋の扉、そこを躊躇なく開ける彼女は、「ここでいいか」と湊を部屋に入れた。
その部屋は物置きとして使われているのか、段ボールがいくつか置かれているだけの場所だった。室内は六帖ほどの広さ。一人で寝るだけなら十分過ぎる大きさだ。
最初のコメントを投稿しよう!