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「荷物があるのでこれをどこかに移動すれば、部屋として使えます」
「ここは元から使ってなかったの?」
「父が昔住んでたみたいです。もう今は使ってないから」
「へぇ」と声を出した。それ以上踏み込んではいけない気がした。確かに家族であれば、母と娘、それに父親の存在も必要だろう。ここまでは父の姿はなかったから仕事にでも行っているのかと思っていたが、今は別の場所で暮らしているらしい。
「僕が勝手に使っちゃっても、いいのかな?」
「全然いいですよ。父は仕事で別のところで暮らしてるから、帰って来ないし」
「ああ、そうなんだ。単身赴任ってやつ?」
「タンシンフニン? なんですかそれは?」
詩は眉間に皺を寄せて湊を見ている。この世界ではそんな言葉は存在しないのかもしれない。
「えーっと、お父さんが仕事で別の場所で暮らしてるから、一緒に住めないってことで家族みんなで引っ越しをするんじゃなくて、お父さん一人で暮らしてる、みたいな感じのことなんだけど、理解できる?」
彼女は首を傾げている。湊の説明の仕方が悪かったのかもしれない。どうやってうまく伝えられるだろうか、と考えていたとき、詩は当たり前のように不思議なことを言った。
「父と一緒に住むなんてありえないじゃないですか。なに言ってるんですか」
「え? ありえない? それは、お父さんのことがあんまり好きじゃない、とかってことなのかな?」
あまり踏み込み過ぎないように気をつけながら言葉を選んで尋ねた。親子の関係性は人それぞれだろうから、と湊は思っていた。
「父のことは大好きですよ。家族ですから」
「ん? お父さんのことは好き、でも一緒に暮らしたくない、ってこと?」
「いやいや、暮らさないじゃないですか普通。父親ってそういうものでしょ? え、違うんですか?」
当然でしょ、とでも言うような詩の態度。一緒に暮らさないのが普通、それが『普通』と彼女は言った。なにをもって『普通』なのか。
「えっと、ちょっとごめん、よくわからなくて。一緒に住むっていうのが普通だと思ってたんだ。お父さんとお母さんと詩さん、三人で一つの家に住むのが普通じゃなくて、お父さんだけ別の場所に住むのか普通なの?」
「はい、もちろん。父親ってそういうものでしょ?」
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