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2,マンションの管理人
清香は現在一人暮らしだが、生まれ育った地元に今だに住んでいた。
東京までは電車で片道1時間以上かかるが、かろうじてベッドタウンの範囲に位置していた。
東京にはたまに用事があると行くが、成美の住まいには行ったことがなかった。
自ら選んで東京の大学に進学し、そのまま都内で就職した成美のことを、清香は都会の水があっているのだろうと想像していたが、たまに会うと成美の口ぶりや雰囲気から、都会生活に起因する疲れや陰りが垣間見えることがあった。
それを裏付けるように、成美の母によると成美は今年になってから仕事を辞め、失業中とのことだった。
何か悩みを抱えていたのだろうと、清香は胸に痛みを覚えた。
成美のマンションは東京の郊外にあり、商業施設等のビルが立ち並ぶ駅前から徒歩15分、畑や緑地が目につく閑静な住宅地に建つ5階建ての建物だった。
ワンルーム中心の単身者向けマンションで、いかにも都市の郊外という場所らしく、周囲の木々や畑や気の早いセミの鳴き声も、田舎とは違った洗練を感じさせた。
入口はオートロックではなかったので、清香はそのままマンションに入り、エレベーターに乗った。
302号室だから3階、と頭の中で確認しているうちに、エレベーターは3階で停止した。
エレベーターを降りてすぐ目の前が、302号室だった。廊下には5部屋ドアが並んでいたが、平日の昼ということもあって人の気配はなかった。
届け物の段ボールの箱がドアの前に置いてある部屋もあったが、302号室の前には何もなかった。
返答を期待せず、清香はドアホンを押した。
1回、2回、3回15秒ほど間をあけて押してみたが、なんの反応もない。
それは留守というより、部屋が空っぽだということを示唆する沈黙だった。
清香はあきらめてエレベーターで1階に降り、玄関の集合ポストを見ると、302号室の投函口には居住者がないことを知らせるテープが貼られていた。
やっぱり引っ越した?
清香はマンション入り口脇に管理人室を見つけ、その小窓に向かって「すみません」と呼びかけた。
すると透明ガラス越しに清香の姿を目にした初老の男が小窓を開け、「はい、何でしょう」と返事をした。
清香は、302号室の住人について質問した。
管理人は即座に「ああ、森澄さんね」と答えたが、そこから両者が管理人と住人として挨拶する間柄であることがうかがえた。
「おととい引っ越しましたよ」
管理人は、事務的にそう言った。
「転居先とかわかります?」
「いや、私はそういうことは知らないです」
挨拶という日常のごく上辺の関係しかなかった人物に、成美が引っ越した理由等、掘り下げたことは到底聞けないだろうと、清香は思った。
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