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5,アケローン川
加呂の漕ぐ舟は初めのうちはスムーズに進んだが、次第に揺れが大きくなっていった。
空気が段々ひんやりしてきたかと思うと、雷鳴が聞こえ、その音はみるみる激しくなった。
にわか雨かと思ったが、雨が降ってくる気配はない。こんな小さな舟では転覆するのではと、清香は心配した。兄の道幸の「大丈夫だよ」という声に励まされた。
雷が命中したかと思う強い衝撃とともに、舟は止まった。
2人は状況を知るべくアイマスクを外そうとしたが、加呂が「ちょっと待った」と制止した。
「ここは冥界の入り口だ。この先に進むには、私の出す質問に答える必要がある」
「出してみろ!」
冥界という言葉に挑むように、道幸が言い放った。
「いいか、頭が3つに蛇の尾を持つものとは何か」
怪物?と清香が考えあぐねている横で、道幸は断言した。
「それは、ケルベロスだ!」
ケルベロスとは、ギリシャ神話に出てくる冥界の番犬だ、昔成美にギリシャ神話の本を貸したのだと、道幸は清香に耳打ちした。
体育会系の兄にそんな趣味があったとはと、成美は驚いた。
2人は加呂の許しを得て、アイマスクをはずした。
あたりは一変していて、薄暗く空とも天井ともつかないものが頭上に広がり、それは血を流したような赤味がかった黒だった。
時折、稲妻が闇を切り裂いた。
地の底から湧いたような咆哮は、冥界の怪物たちのものだろう。
清香は震えあがったが、めげてはいられないと、自分を鼓舞した。
舟は再び動き出した。
この川がアケローン川なのかと、清香は考えた。「アケローン川を渡る」という成美のメモの文句が甦った。
しばらく行くと、闇に慣れた目が前方にぼんやり浮かび上がる影を捉えた。それは小舟だったが、船頭の姿はなく、人1人だけ乗せて惑うように漂っていた。
「あれは、もしかして成美?」
「まだこんな所にいたのか」あざけるように言う加呂に、道幸が詰め寄った。「お前が運んできたのか」
「そうだ。決心がつかずにさまよっている」
その瞬間、道幸は加呂を殴り倒して櫂を奪い取った。加呂は完全に気を失った。
道幸は全身の力を込めて船を漕ぎ、成美の乗っている舟に近付いていった。
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