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花帆。
目の前のベッドには六歳になった妹の花帆が横たわっている。人工呼吸器に繋がれて苦しそうに顔を歪めていた。父さんと母さんはお医者さんに呼ばれて席を外した。午後四時半。カーテンを閉め切った部屋には蛍光灯の明かりだけがある。
助かって。それだけを、思う。
お願いだからもう一度笑顔を見せて。あの眩しく弾けるような表情をまた浮かべて。
赤ちゃんだった花帆。初めて顔を見た時、無意識に僕は指を差し出した。小さな小さな手で、ぎゅっと握ってくれたっけ。歯も眉毛も無かったけど、とっても可愛いと僕は思った。そして、お兄ちゃんとして必ず守り続けると心に決めた。
寝返りを打ったのを最初に目撃したのも僕だ。父さんはお皿を洗っていて、母さんはベランダで洗濯物を干していた。花帆が寝返りを打った、と叫ぶとお皿と洗濯物を持ったまま二人ともとんで来た。うつ伏せになった花帆を見て、息が出来るのか心配になりしっかりと抱き上げた。腕の中で花帆は無邪気に声を上げた。
三歳になると、休日は僕の通い始めた小学校へ連れて行った。一緒に走った。ブランコに乗せて背中を押した。鉄棒をやりたいとせがむので、抱き上げ掴まらせてあげた。帰り道、クラスメイトとそのお母さんに会った時、いいお兄ちゃんね、妹さんが可愛くて仕方ないんだ、と言われた。はい、と心の底から返事をした。花帆は人見知りをして僕の影に隠れていた。
本当なら、先月から花帆も小学校へ入学し、今頃は通学をしていたはずだ。廊下を歩く一年生の中に、しかし花帆の姿は無く、僕は唇を噛んだ。
半年前、花帆は急に熱を出し一向に下がらなくなった。掛かり付けの病院へ行くと解熱剤を処方された。薬が効いている間は多少下がるけど、すぐにぶり返した。大きな病院へ連れて行くとすぐに精密検査が行われた。そしてこの病院を紹介され、以来ずっと入院している。そして日に日に花帆は弱っていく。最近では、喋ることはおろか自力の呼吸もままならず、呼吸器をつけている。
拳を握り締める。こんなの平等じゃない。花帆だけが苦しい思いをするなんて不公平だ。花帆も皆と同じように普通の生活を送る権利がある。どうして花帆だけが病気になった。何で当たり前の人生を送れない。そして、今。
その命すら、終わろうとしている。
両親は、きっと大丈夫、と口にした。だけど二人の青ざめた顔や苦しそうな花帆の様子、そしてお医者さんの表情を見て察した。花帆は、助からない。
嫌だ、と強く念じる。大事な妹を失いたくない。元気を取り戻して、また一緒に遊ぼうよ。もっとたくさん、楽しいことをやろうよ。並んで小学校へ通学しよう。僕が花帆の手を引いてあげる。宿題でわからないところがあれば教えるよ。逆上がりが出来なかったら練習をしよう。だから花帆、まだいかないで。もっと傍にいて。僕が守るから。僕がずっと守るから。
しかし無情にも、花帆の呼吸が徐々に落ち着いて来た。良くなっているわけじゃない。終わりが近付いている。祈りだけで病気は治らない。でも僕には祈ることしか出来ない。だから強く、心の底から強く願った。
もし、僕の寿命を分け与えられるのなら喜んで差し出す。治療でどうにもならないのなら、それならば。
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