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空間暴露殺虫処理
女性はレインボーと名乗った。カフェの屋外テーブルをはさんで座っている男はフォレストと返し、話をはじめた。道の天井の窓から光が埃を照らし、柱を作っていた。そこを通りすぎていくだれもお互いの顔を見ようとはしない。
「すでにご案内したとおりです。変更はありません。出航は明日。一週間の旅です」
レインボーはうなずいた。短い髪は脂でしっとりしている。顔色は埃のせいか元々なのか灰色だった。頬はこけ、ゆったりした作業服でもやせた体をごまかせていない。
「わかりました」
そう言うと、胸ポケットからカードを取りだして置いた。それをフォレストがスキャンしようとすると、さっとふたをするように手をかぶせた。
「本当に、連れて行ってくれるのですか」
「お約束通りに」
「危険は? 見つからないでしょうね」
フォレストはスキャナーをいったんポケットに突っ込み、白髪の混じった四角い頭をかくと、テーブルの上で手を組んだ。コーヒーと称する飲み物が香りもなく湯気だけ立てている。
「見つかる恐れはありません。あなたが指示を守れればの話しですが。それに一人乗りにもいい点があって、ほかの乗組員のことは考えなくてすむ」
「旅の間は……その、……貨物コンテナからは出られない?」
「その通りです。船内カメラに撮られるのはまずい。ほかに外部との通信や、わたしとの会話も無し。検査を潜り抜けるためです。味気ない携行食料と簡易リサイクルトイレですが、我慢の甲斐はありますよ。着いたらそこは……」
口が、エルドラドという形に動いた。レインボーはほうっと息を吐いた。
「まともな仕事、まともな食べ物と水、無料の空気。でも、怪しまれないでしょうか。こんな薄汚れた格好で」
「だいじょうぶ。わたしもいま着てるような作業着で降りますが馬鹿になんかされませんし、人々の間に紛れ込むのも簡単です。人口十億ですよ。ひとつの惑星に。一人くらい増えてもわかりっこない」
レインボーはぐるりとまわりを見まわした。埃の柱をたどって見上げると、このコロニーが巡るガス惑星、シュエイが見えた。光を冷たく反射し、ここをうす暗く照らしている。
「これまでに何人ほど運んだのですか」
男は女の目をじっとみた。
「失礼。秘密でしたね」
うなずくと、フォレストはスキャナーをポケットの上からトントンとたたいた。「よろしいですか」
「あと少し。あなたが信頼できる方か見極めたい。そのためにわたしの身の上話を聞いて頂けませんか」
「あまり時間がないのですが。出航準備もありますし、もちろんそれだけじゃない」 手でコンテナの形を作った。
「分かります。お時間は取らせません。わたしはなにかを決めるときは顔を合わせることにこだわってきました。話をすればわかるんです。信用していいか。おねがいします。このお金はわたしが血を吐く思いで、いいえ、本当に吐いて貯めてきたものです。ちょっとだけお話しさせてください」
しわ、というか細かいひびが一面に浮かんでいる顔と手の甲。白目と黒目の境はあいまいで濁っていた。環境規定なんか守られてない所でずっと働いてきた印だった。フォレストはコーヒーを一口含んだ。
「どうぞ、お話しください。必要なら」
話をすればわかる、と言いながら、語りは洗練されてなかった。つっかえつっかえだし、順序が前後し、話してる最中に思い出したことをどんどん付けくわえた。それでもフォレストは口を挟まなかった。誰とも話さない日々が続くと話し方を忘れてしまう。この人は話の要領を失うほど独りだったんだろう。
彼女はこのコロニー生まれだった。両親ともに中の下の労働者階級で、枯渇しつつあったエルドラドの鉱山に見切りをつけ、シュエイにやってきた。コロニー運営公社のエンジニアとして。父はエネルギー系、母は環境系だった。
レインボーが十歳までは順調だったようだ。しかし、政策が変わり、自己改造を許された人工知能の急激な発達により管理業務を追われた二人は慣れない現場仕事に移った。あまりに危険なため高価で貴重な自動制御機器が使えない作業、すなわちガス惑星に降下して重水素やその他の希少元素をすくってくるエレメンツ・ダイバーだ。
「二人はまるで消耗品のように相次いでシュエイに飲み込まれました。わたしは孤児院っていう名目の労働施設送り。でも生きてられたんだから幸運だった」
その後、様々な職業を転々とし、シュエイに捕まえられた岩のかけらや小惑星を掘るアステロイド・マイナーになった。
「でも、もうだめ。目がね。紫外線で。保護具してると細かいかけらを見逃すからって裸眼で作業してたから。それに機外作業の安全時間なんか誰も守らないし。もう子供はあきらめた」
ふっと息を吐いてフォレストを見た。「これでおしまい。死ぬまでに一度はパパとママの星を歩いてみたい。でもエルドラドは出るのは簡単だけど入るのは大変。地球生まれでもない限りね。正規の方法での移民は無理。だから連れてってほしいの」
すっかり冷めたコーヒーをもう一口。フォレストはスキャナーを取りだした。
「そんな話し、何万回聞いたと思います? 事情は細かく違っても、みんな泥の中を這いずる虫です。ただ雲の上の世界、エルドラドにあこがれるだけ。で、わたしは運ぶだけ。それでいいでしょう?」
くっくっくっ、とレインボーは声をひそめて笑いながら手をどけた。
「これがコンテナですか。思ったより大きいですね」
宇宙港近くの寂れた倉庫に規格のコンテナが一面だけ開けて置かれていた。中は全面宇宙服の内張りのようなつやのないにごった白のクッションが施され、携行食料の箱と簡易リサイクルトイレが備え付けられていた。
「本当に航行中は出られないんですか。あなたとお話も?」
フォレストは両方の問いに首を振った。
「コロニーを出る船の検査は非常に厳しくなってまして、特にエルドラド行きは容赦ありません」 口調に、なんども説明したという風をにじませた。コンテナの各面には放射性鉱石積載表示があり、内外壁は放射線を通さない材質である保証マークが付いていた。
「そうでしたね。じゃあ退屈しのぎはこれだけ」 腕に巻いた端末をなでた。
「もし必要なら薬物があります。携行食料の箱に入っていますので。特に転回の六時間は使用をおすすめします」
「じゃあずっと1G加速?」
「ええ、わたしは高速輸送を売りにしてまして。中間地点まで加速、そこでひっくりかえって後は減速です。だから速い」
手でその様子をした。くるっとひっくり返る所でレインボーはほほ笑んだ。
「つまり加速による見かけの重力がなくなるのはそのひっくり返る六時間だけ」
「だけです。だから薬で寝てたほうが楽ですよ。たった六時間でも慣れない人は酔う」
「わたしはアステロイド・マイナーだったんですよ」
「それは自分で操縦する場合でしょ? コンテナに閉じ込められて外部の様子が分からないと勝手が違いますよ。それに掃除に行けないですし」
レインボーは小さくあっと言う顔をした。「なるほど、じゃ、頃合いになったら薬を使いましょ」 そう言うとコンテナに入っていき、内部からパネルを操作して密封した。フォレストも確かめると貨物船に運んだ。
いつもの通り一人になった。出航時検査も滞りなく終わった。管制官の安全確認が行われ、船は加速を開始し、コロニーを、シュエイを離れ、エルドラドへの軌道に乗った。
もうあのコンテナ内部の様子は分からない。決して快適ではないが我慢できるだろう。できなくたっていまさらだ。
三日目の夕食後、加速を止めた。主機がおとなしくなり、船内の留めていないものやちょっとしたごみ屑が漂う。船が転回を始め、窓から入る光の角度が変わっていくのが分かった。点検ルーチンが走り出す。
よし、始めよう。
フォレストは空間暴露殺虫処理の命令を発した。船の制御頭脳は船倉の空気を回収し、ハッチをゆっくりと開いた。主星の生の光が差し込む。空気によって散乱されないので光と影の境界がくっきりしている。そして船倉内の記録カメラに直接飛びこんだ。作業する間だけそうなるように計算して転回させている。映像は真っ白。主星の光だ、フィルターや画像処理でどうなるものじゃない。カメラは機器保護のため動作を停止した。記録の中断について後で検査官に指摘されるだろうが殺虫処理は許されている。たまたま光があたってしまったのはやむを得ないし、十五分か二十分のことだ。それに、こんな航路のど真ん中、深宇宙でなにができる? せいぜい注意で済むだろう。
作業ロボットの一集団がレインボーのコンテナに群がり、密封を解いて開いた。群れのうち二台が中に入り、すばやく毛布でくるんだ大きな葉巻型の塊を持ち出し、さらに船倉を出て主機の噴出口そばにつなぎとめると帰ってきた。並行して作業群はコンテナの備品や内装をはがして片づけ、ただの空コンテナにする。この一連の作業はフォレスト自身が遠隔指示で行い、作業後は記録をなんでもない点検業務で上書きした。これには結構金がかかってる。作業記録をごまかすなんてできるとは思ってもいなかったが、ある所にはあるもんだ。それと、投棄した廃棄物重量の修正。最後に鉱石の帳簿、これは簡単、コロニー側ですでに直されてる。かかる金もわずかなものだ。
制御頭脳が殺虫完了と報告した。真空に暴露された船倉の害虫は、もしいたとしても一掃された。そして面倒な密航者もいなくなった。減速を開始すれば核融合の炎で分子ひとかけらもなくなる。
それにしてもなぜ分からなかったんだろう。密航者はみんなそうだが、あの女性は賢そうだったのに。どんな手を尽くそうがエルドラドの検査を通過できるわけないじゃないか。途中で破棄されるって思わなかったんだろうか。
薬を使ってくれてたらいいんだけどな。寝てるうちに意識を失ってそのままなら幸せだったろう。意識がある状態で真相に気づいてたらちょっとかわいそうだが、内装の様子では静かだったようだ。
転回が完了し、主機の軸も正確な方向を向いている。制御頭脳が減速開始のカウントダウンをはじめ、次の瞬間、重さが戻ってきた。
伸びをする。いまこそ本当に一人になった。宇宙の仕事でもっともすばらしい瞬間。半径数光秒の球のなかの人間はわたしだけだ。人間は宇宙で暮らすことによって集団でいようとする本能を克服できるようになると思う。そしてわたしはかなりそうなっている。孤であり、独である状態こそヒューマニティなのだ。
だが、かすかに残る虫のようななにかが、自分の行為をちくちくと責める。ああ、胸を開いて心を空間暴露殺虫処理したい。それができたらずいぶんすっきりするだろう。
わたしは計器を流れる数値を眺めた。くよくよするな。すべて正常だ。
了
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