第三章 岡っ引き

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 翌日の明け方、霊斬は千砂の隠れ家に足を運んだ。 「いるか?」 「はいよ」  濡れた髪を手拭いで押さえながら、千砂が顔を出した。 「湯屋にでもいっていたのか?」  霊斬が床に胡坐をかいて座り、尋ねた。 「まあね。仕事が長引いて、少ししか眠れなかったよ」 「悪いな、そんなときに」  霊斬がそう言うと、千砂が声を上げて笑う。 「あははっ! そんなこと、気にしなくていいよ。ちょっと、都合が合わなかっただけじゃないか」 「そうか」  霊斬はいつもの低い声で言った。 「今日はなにしにきたんだい? 世間話をするためじゃないだろ?」 「新たな依頼だ。岡っ引きからで、武家同士の派閥争いに、終止符を打ってほしいとのことだ。美里伊之介が今回の対象だ」  霊斬が静かな声で告げると、千砂は驚いた顔をした。 「よく依頼を受けたね。てっきり断るのかと思ったよ」  霊斬は苦笑する。 「正体がばれる危険を冒しても、俺は見て見ぬふりはしたくない。それに岡っ引きには、釘を刺しておいた」 「そうかい。じゃ、一日おくれよ。必要なものはすべて、用意するからさ」  千砂は苦笑して言うと、霊斬が立ち上がった。 「頼んだ」  霊斬はそれだけ告げると、隠れ家を後にした。  千砂はその日の夜、まずは自身番に足を運び、美里伊之介を捜したが、いなかった。武家屋敷の中心部付近に美里の表札を見つけると、音もなく屋敷内に忍び込む。そのまま、屋根裏まで忍び込むと、やたらとうるさい場所に向かう。 「あやつの屈辱に満ちた顔、お主らにも見せてやりたかったわ!」  老年の男の一言で、下卑た笑いが飛び交う。 「そうですねぇ、久五郎(きゅうごろう)様」 「お主は真面目な男よのう。こんな笑い話にものらんとは」 「笑えぬだけにございます」  その男は冷ややかな声で答えた。 「次はどんな嫌がらせをしてやろうかのう? あやつの家族を襲うかの~?」 「良いではありませんか! 我らもお力添えいたしまする!」  と別の武士が言い、場が盛り上がる。 「では、六日後のこの時間、あやつの屋敷を襲うことにする! 皆、準備はきちっとするように~!」  酔った勢いでそんなことを決めてしまった久五郎に、千砂は呆れた。 「伊之介、もっと呑まんか!」  久五郎が上機嫌に言う。 「いえ、私はこの辺で失礼」  呼ばれた男――伊之介はその場を辞した。
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