4人が本棚に入れています
本棚に追加
「そうさな……。千砂はこの報せを自身番に流せ。武家同士の諍いだ、動かぬわけにはいかんだろうさ」
「分かった。あんたはどうするんだい?」
「俺か? その間に、久五郎を叩く。灸をすえてやるのさ」
霊斬はそう言って、口端を吊り上げて嗤った。
――怖い笑みだ。
「分かった」
千砂は内心で心底そう思いながら、うなずいた。
その場でくるりと背を向けると、肩越しに霊斬を見る。
「それと、呑みすぎ注意!」
「もう寝る」
その言葉に思わず苦笑した霊斬は、言葉を返した。
千砂はその言葉を聞くと内心で安堵し、店を去った。
それから数日後の決行日前日。まだ日も高い午後に、岡っ引きが店を訪れた。
「それでどうなったんだ?」
「そう急かさずとも、話しますよ。美里伊之介ですが、あなたが思っているようなお方ではなかったようです」
霊斬が窘めながら、話を続けた。
「伊之介はあくまで看板。その実態を握っているのは久五郎という男。どうやら酔った勢いで、気に入らない武家を襲うことを決めたそうな」
岡っ引きは青い顔をする。
「ってことは、旦那の屋敷が戦場になるっていうのかい!?」
「そうですね。それに乗じて、久五郎を痛めつけますので、ご心配なく」
動揺する岡っ引きとは反対に、霊斬は冷静さを欠くこともなく、静かな声で続ける。
「それと、これをお渡ししておきます」
霊斬は言いながら、預かっていた脇差を差し出す。
「あなたが旦那と呼んでいるお方の名を、教えていただけますか?」
「古野得太郎様だ」
「では、決行後にまたお会いしましょう」
そのころ、忍び装束姿の千砂は自身番に忍び込んでいた。
屋根裏の板をずらし、様子を見ていると、部屋の中に一人の老年の男が入ってくる。
千砂は静かに苦無を右手に忍ばせて、飛び降りる。と、その男の首を抱え、苦無の切っ先を突きつける。静かな声で尋ねた。
「自身番の中で、一番偉いのは、あんたかい?」
「そ、そうだが?」
首を動かすのは怖いと思ったのだろう、男は声で応じた。
「今夜、古野得太郎の家を見張りな」
「なぜ?」
「見張っていれば分かるさ。信じないと……あんたの命はないからね?」
千砂は頭巾の下で残虐な笑みを浮かべながら、苦無に力を込める。と、皮膚が斬れ、一筋の血が滲む。
「わ、分かった。そうしよう」
千砂はその答えに満足したのか、苦無を仕舞って、その場から去った。
最初のコメントを投稿しよう!