第一章 酒屋

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 それからしばらくして、霊斬はそば屋に顔を出した。  そば屋の裏で、千砂と霊斬は話をしていた。 「それで、今回は誰だい?」  千砂は開口一番に聞いた。  彼女は霊斬と同じように、別の顔を持っている。(こっち)の世で〝烏揚羽(からすあげは)〟と呼ばれる情報屋だ。 「伊佐木家だ」 「割と小さな武家じゃないか」  霊斬は千砂の言葉に、目を丸くする。 「そうなのか」 「あと、依頼内容は?」 「妹の仇討ちだ」  霊斬が静かな声で告げた。 「よく引き受けたじゃないか」 「命を奪うことだけが、仇討ちじゃあない」 「そうだね」 「どれくらいかかる?」 「一日」 「任せる」  霊斬はそれだけ告げると、その場を去った。  それからだいぶ経った、夜も更けたころ、千砂はそば屋から離れた場所にある、一軒の家に足を踏み入れた。ここは千砂が情報収集をするときに使う、拠点だ。千砂と霊斬の間では隠れ家と呼ばれている。  普段の小袖から動きやすい忍び装束に着替え、頭巾を(かぶ)ると、伊佐木家に向かった。  千砂は伊佐木家に辿り着くと、屋根裏から侵入し、聞こえてきた声に足を止めた。天井の板を少しずらして、様子を盗み見た。部屋の中には二人の武士がいた。一人は若く、もう一人は中年くらいに見えた。 「史郎様、ひとつお耳に入れておきたいことがございます」  書物に目を通しながら、その声を聞いた史郎は、顔を向けもせず声を出した。 「なんだ?」 「酒屋の娘が、幻鷲のところに出入りしていたようでございます」 「酒屋の娘だと?」  史郎は書物から目を離し、家臣を凝視した。 「霊斬に会った、とでも?」 「分かりません。ですが、可能性はあります」 「なぜ、そんなところにいったんだ?」 「あなた様は覚えていらっしゃらないようですが、酒に酔った勢いで、店の者を斬ってしまったのですよ」 「そんなことがあったのか。いつだ?」  自分でやったことなのに一切覚えていないため、他人事のような口調で史郎は尋ねた。 「今から五年前です」 「あれは事故だ」 「そうでございますか」  そう答える家臣の声は冷たかった。家臣はただの事故だとは思っていないようだ。  千砂はそこまでの会話を聞くと、屋敷を去った。
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