第一章 酒屋

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 翌日、霊斬は隠れ家を訪れた。 「きたかい」 「ああ」  顔を出した千砂に、霊斬はうなずいて見せた。 「首尾は?」  霊斬は部屋に上がると胡坐をかいて、本題を切り出した。 「五年前に起きた刃傷沙汰だけど、伊佐木史郎は否定している。自分は覚えていないとの一点張りさ」  霊斬は溜息(ためいき)()いた。 「どうしようもないな」 「本当にね。自分で斬ったのに、事故だと言っていた」 「事故であるはずなかろうが」  霊斬は冷ややかに吐き捨てた。 「そうだね」  千砂はそう同意した。  霊斬はそれだけ聞くと、無言で隠れ家を後にした。  それから数日後、依頼人の女が再び姿を見せた。  女を中に招き入れると、口を開いた。 「それで、どうでしたか?」 「伊佐木は、あの出来事は事故だ、と言い張っています」 「人を亡き者にしたというのに事故? そんなの、違います!」  女は怒りをあらわにする。 「でしたら、当時の状況をお話し願えますか?」 「はい」  女は言って、遠い目をした。  今から五年前の冬、一人の客が店を訪れた。酒が欲しいというのでためしに呑んでもらったところ、美味いと喜んで何度も呑んだ。この店の酒は度数が高く、少量呑んだだけでも酒が弱い人なら酔ってしまう。  酔っぱらった客に帰るように告げたのは、気丈にも店番をしていた十代後半の妹だった。 「無理に今日、お買い上げなさらなくても構いません。今日のところは、これでお帰りください」 「断る! この店にある酒を全部、ためしに飲んでから帰る!」  酔っているのに、舌を噛まないことが不思議だ。駄々っ子のように言い張る。  それをなんとか抑えようとしていた若い武士が何度も謝りながら、主の手から(さかずき)を取り上げようと試みる。しかし、本人が離そうとしない。  その場にいた誰もが困り果てていると、若い武士からの拘束を振りほどこうと、男は小太刀を抜いて、めちゃくちゃに振り始めた。  慌てて周囲の者が離れたが、店番をしていた妹だけが、離れる瞬間を逃し、斬りつけられてしまった。運が悪く、胸を斬られてしまい、妹は即死だった。  先ほどまで騒がしかった店が、一瞬にして静まり返る。  それでも酒に呑まれている男は、なにごとかを叫びながら、店を出ていった。
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