第六章 小料理屋

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 はーっと息が漏れた。  ――そう言えば、そろそろ祭りの時期か。  格子窓から見える月を見ながら、そんなことを思った。  ――たまには店を閉めて、覗きにいくのも、悪くないかもしれん。  ふっと頭に浮かんだことに苦笑しながら、酒を呑んだ。  それから三日後の夜、忍び装束を身に纏った千砂は、江戸で一番大きい呉服問屋に向かった。  屋根から、天井裏に侵入すると、 「なにをしている! 早くせんか!」  この店の主だろうか、怒鳴り声が響く。 「は、はい!」  三十代くらいの男が反物(たんもの)を片手に走り回っている。  お客の近くに反物を運んだ男は、大慌てで店の裏へと向かう。  後をつけていくと、同い年の女が待っていた。  男は問答無用で、女の頬を張ると、 「お前はいい奴だ。黙って殴られてくれるからな」  と罵り、店に戻った。  女は頬を叩かれても動じず、溜息ひとつ零して、店を去った。  ――殴られることに慣れているのかもしれない。  千砂はそう思った。  それからしばらくして、店仕舞いを終えた男は出かけるとだけ言い置いて、店を出た。  男が向かったのはある小料理屋の裏、戸を叩くと先ほどの女が出てくる。無言で中に入っていくのを見送り、千砂も屋根裏から様子を窺う。二階の部屋に二人は無言で入る。  二人きりになるや、男が手を上げた。  腹を蹴られ、くの字に身体を曲げる女。顔を避けるように、全身を殴りつけていく。  壁に女の身体が何度もぶつかり、物音を聞きつけた誰かの声が聞こえてきた。 「大丈夫かい?」 「はい、なんでもありません」  殴る手を止めて言っている隙に逃げようとしたが、髪をつかまれて、引き摺り戻される。  理由は分からない。一方的な暴力はかなり長く続いた。  その光景を目の当たりにした千砂は、胸を痛めて、小料理屋を去った。  念のため、翌日も小料理屋に忍び込むと、昨日と同じ光景が広がっていた。  ――毎晩、暴力を振るっているのか。  推測ではあるものの、そう判断し、霊斬の店へ向かった。
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