第一章 酒屋

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 霊斬がちらりと天井に視線を投げると、様子を見ている千砂と目が合う。それを無視し、言葉を発した。 「待たせたな」 「全員、倒したのか」  そう尋ねる史郎の声は元気がなかった。まるで、置き去りにされた子どもだ。 「ああ」  霊斬はうなずく。 「あれは事故だ。あれは、事故だ」  と史郎は何度も口にした。  その様子を見ていた霊斬は、溜息を吐いた。 「貴様がどんな思いでいるのかは知らん。だがな、人が一人、死んだ。その事実から目を背けるな!」  霊斬は怒鳴った。 「この家を壊しに、きたのか?」 「まあ、そんなところだ」  霊斬は答えた。 「なら、もう、どうでもいいな」  史郎はそう言って、上着を脱ぐ。  その様子を見ていた霊斬は、ゆっくりと歩き出す。  史郎が最期に見たのは、霊斬の背中だった。  鈍い音が聞こえ、どさっと重いものが倒れる音がした。  霊斬はそれらの音を聞くと、屋敷を後にした。  史郎の最期を見届けた千砂は、複雑な思いを抱えたまま、後に続いた。  それから三日後、依頼人の女が店に姿を見せた。 「伊佐木史郎はどうなりましたか?」 「自害いたしました」  霊斬は静かな声で告げた。 「あなたがなにか、そうさせるような言葉を言ったのですか?」 「いいえ。私はただ、ひとつの命が失われたことから、目を逸らすなと、告げたまでにございます」  霊斬は即座に否定して、そう言った。 「そうですか」  女はそう言い、懐から小判十両を取り出すと、静かに差し出した。  霊斬は無言でそれを袖に仕舞う。 「では、またのお越しを、お待ちしております」  その言葉を最後に、女は一礼して、店を去った。  それからしばらくして、霊斬は隠れ家に足を運んだ。 「千砂、いるか?」 「いるよ」  千砂は霊斬を見ると、中に招き入れた。 「……対象者が自害するとはね」  千砂が重い口を開いた。 「ああ、俺も驚いた」  霊斬が同意する。 「もう、人が死ぬところなんて見たくないよ」 「嫌な思いをさせたな。悪かった」 「気にしないでおくれ」  霊斬は無言で隠れ家を去った。
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