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──ひとびとは白く薄い仮面を被っている。笑みの張り付いたそれは幼心に薄気味悪く自分の顔をさするたびに『ああはなりたくない』と常日ごろから思っていたものだ。つくりものじみた笑みは生気のあるものとは程とおく、群衆への擬態を思わせる。
年を重ねるにつれ、徐々に群衆は増えていく。
みな一様に似た笑みを張り付けて街を闊歩し、つくりものの笑みを向け合って『上手く群衆に擬態出来ている』『自分は仲間はずれにされていない』ことを何度でも確認する。それを心の拠り所とし、群衆同士は引力をもって規模を増やす。
俺の感性は、本能は、それを疎んだ。
みなそれぞれに個々としての魅力があるというのに、それを磨り潰して顔に塗り、笑みを張り付ける。似通ったそれを見たとて心動かされることがあるものか。
齢が先達のそれにとおく及ばなくとも分かる。ひとそれぞれの個性を潰してまで群衆のうちのひとりを演じているのはなんとくだらないことか。個々人にはひとつひとつの人生があるのだ。それをひとくくりに『群衆』として固めてしまうのはとんでもない愚行だ。
笑みの仮面はひととしての輝きを、生の喜びを潰す。
──曇りを胸にまた俺は、いくつか歳を重ねた。
いつしかつたないながらに音楽を志すようになった。
自分の道が定まってから俺は「あなたが一番心を動かされた出来事を教えてください」と町ゆくひとびとに尋ねて歩いた。幼いころの曇りを胸に宿したまま。
この雲を晴らす明確な解が欲しい、と。
とあるひとは「部活でいい成績を残せたこと」と答えた。またとあるひとは「彼女にプロポーズが出来たこと」と答えた。違うひとは「孫と一緒に遊べたこと」と答えた。そのほかにも様々。指折り数えても『心を動かされた出来事』は両手じゃ到底足りない。
彼らは、彼女らは。
みんなみんな幸せそうに笑っていた。
「──……やっぱり」
彼らの、彼女らの答えを聞いて俺は確信した。
やはり、やはりだ。
ひとの数だけ人生のきらめきは溢れている。
それから俺は、書いた、書いた、書いた。
文字として彼らの、彼女らの人生を書き起こした。
喜びを、楽しさを、しあわせを。
ひたすら紙に書き起こした。
──このきらめきを有象無象として終わらせなどしない。
これから俺は、書き起こした人生に歌を添える。
ひとりでも多くのひとが心から笑えるように。
顔にかたく張り付いた仮面を剥がして、叩き割って、心の底から笑って歌えるように。
一様に似通った笑みの仮面の下は誰もが自分自身の人生の主人公だ。俺の命の灯火が消えるまで、決して『群衆』『ただの通行人』などで終わらせはしない。
語り継げ、歌い継げ。
人生を懸命に生きているひとびとの輝きを。
未来へ繋げ。
自分の、みんなの生きた証を。
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