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1 〜3ヶ月前〜
仮眠から目が冷めて、あくびをしながらテントの外に出ると、外は今日もよく乾燥していた。空はまだ藍色で、星がうっすらと見えている。
地上には砂が舞って太陽が静かに地を焼こうと準備していた。大きく張ったタープが日陰を作っているが、それがないと数時間もすれば干上がってしまいそうな太陽の強さだった。
ただし、太陽が沈むと気温はグッと下がる。典型的な大陸性気候で、慣れていないと体調を崩してしまうこともある。
既に数人の仲間の姿が見え、重機が動いていた。瓦礫の上に腰掛けて神を憂いている老婆や、赤ん坊を抱いている子どもの姿も見える。
「ティガー、目が覚めたらこっち手伝って」
先に起きていたミシェルが言って、正寅は彼女のいる方へと戻った。
西欧とアジア、そしてアラブ諸国の文化が入り交じる国、テシェルでマグニチュード7の震災が発生したのは、3日前のことだった。そのとき、ちょうど正寅は他数人のメンバーと、イタリアでの災害救助技術の情報交換会が終わって帰路につくところだった。
だが、上司は帰ってくるなと言った。1週間ぐらい緊急派遣のつなぎとしてテシェルの災害救助に協力しろとのことだった。そこに異議はない。正寅は流暢な英語は話せなかったが、単語ぐらいなら言えるし、なんとなくなら意味もわかる。それで充分だった。
72時間のリミットが迫る中、昼も夜もなく、救助作業は続く。
よくわからない現地の言葉で人々がわめいている中、ミシェルは無線と目の前の人々の声を同時に聞いて、救助箇所のトリアージを行っていた。
聖徳太子みたいだ、と会った初日に言ったら、ミシェルは悪口を言われたと思ったらしく怒っていた。誤解が解けたのは、正寅がミシェルの怒りに気づいて解説した翌日だった。
「はい、並んで。叫ぶと聞こえない。聞こえないと助けられない」
正寅は暴徒になりそうなストレスを孕んだ人々に言った。誰も聞いてなかったが、手前の老女が正寅にすがりつき、抱えていた赤ん坊を捧げたので、正寅は思わず受け取った。
赤ん坊の顔を見て、正寅は思わず地面に置いた。そして小さな胸を指で押さえ、人工呼吸を行う。わぁわぁ言っていた周囲の声が聞こえなくなり、正寅は赤ん坊の心拍と呼吸を確かめた。
戻らない。
正寅は赤ん坊の顔が黒ずんでいるのを見て、地面を拳で殴った。
「死んでる」
正寅は泣いている老女に赤ん坊を返し、それから汚れた包帯を巻いた人たちや、我先にとミシェルに訴えようとしている人たちを見た。
「English, I hear. Teşerer, She」
正寅はジェスチャー混じりに言って、もう一度「English」と手を上げた。そして折りたたんで破れかけの地図を広げる。
集まっていた人々のうち、2割ほどが正寅の方に来た。そして口々に訴える。
正寅は地図に救助要請の位置と簡単な内容を落とし込み、そしてある程度まとまるとミシェルに伝えた。彼女は神のような裁きで無線に指示を出していく。
それを小一時間やっているうちに、交代で仮眠を取っていた本職の通訳が戻ってきた。
「バリスー I LOVE YOU」と正寅が言ったら、6−7カ国語を操る彼は笑顔で正寅を抱きしめた。
「ティガー、ラーレホテルで日本人が埋まってるらしい」
「サンキュー」
正寅はバリスに言いながら走り出し、後ろから「気をつけて」という声を聞いた。
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