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緑川は若い頃、海外支援のNPOに所属していて、中東辺りにも何度か来たことがあるようだった。だからなのか、彼女は記念写真を撮りにきた議員とは違って、避難所でやるべきこと、災害救助の現場でやるべきことを知っているという感じだった。
水や建築物の安全性を調べた後は、残っていた日本人被災者の事情を丁寧に聞き取っていた。足りないものや、不安に思っていること、これからどうしたいか、短期的な問題と、長期的な問題も聞いていた。
正寅は避難後の暮らしについては特にサポートすることがなかったので、緑川がそういう話をしている間、ミシェルと連絡を取ったり、日本の上司に離脱時期の確認なんかをしていた。ミシェルは正寅が日本の政治家といるのを知っていて、接待が終わったらアレコレしてほしいと訴えた。
正寅はうんざりしながらも、仕方なく帰路に近い街を選択した。その辺りにできた小さなグループが揉めているといって、それを調停しろという指令を見て、そもそもの問題点を確かめないとなと思った。
若いホテルスタッフが、何か言ってタブレットをくれた。自分たちも被災しているのに、何人かの親切なスタッフが丁寧に宿泊客の安全を守ってくれていた。
正寅はタブレットをつまみ、スタッフに礼を言って口に入れた。
ミントの刺激が心地よくて、ガリガリ噛んでいると、緑川が戻ってきた。
「御崎さん、もうすぐバスが来るのよね?」
「来ると思いますよ。さっきの僕の車よりも強くて安全で、赤十字のマークがついたやつです。飛行場にも安全に行けます」
「ありがとう」
「いえ、どうします? バスが来るまで待ちましょうか? 僕は何ができるでもないですけど。あと……30分もすれば着くかと」
「ちょっといい?」
緑川が言って、正寅は彼女が身を寄せた壁の方へ行った。
「本人は公表したがらないし、その方がいいんだけど、棚岡って人がいるでしょ。彼は棚岡大臣のご子息なのよね」
緑川が現地に残りたいと希望している青年の1人を目で示した。友人と地元の農地拡大の事業をしているという。
「はぁそうなんですか」
正寅が抜けた声で言うと、彼女は小さくため息をついた。ガードの嶋田が2人に背を向けて、周りから守るように警戒している。
「わかるでしょ? ここには残せないの。元々、大臣はこんな危険な地域に来ることは反対だった。おまけに震災でインフラも会社の設備もズタボロ、これから苦労するのは目に見えてる。日本に戻ってほしいの」
「あぁ、大臣の気持ちはわかります」
「じゃぁ協力しなさい」
「はい?」
正寅は眉を寄せた。
「息子さんだけでいいから、バスに乗せてほしいの。無理やりでも騙してでも」
「え」
「協力してくれたら便宜を図る。嫌なら上の命令を取ってあげる」
いや、それって義務ってことですよね。
正寅は黙って息をついた。最近、あちこちで弱みを握られている気がする。
「田中誠太郎についての調査に協力してあげる。私の選挙区はあの辺りだから」
正寅は黙ってうなずいた。田中誠太郎は父違いの正寅の兄で、連続爆破事件を起こした挙げ句、自殺未遂をして、植物状態で2年弱ほど眠ったままだ。
先月も兄の延命期限を半年伸ばしてやるから、と言われてつまんない頼みを聞いてしまった。そういうのがきっと人生の弱点になっていくのだろう。
それでも正寅はその誘惑に勝てなかった。
「よろしくお願いします」
正寅が言うと、緑川は嬉しそうに鮮やかなピンクの唇をにっこりと緩めた。
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