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「小野さんは、少し前に帰ったよ」
俺がきょろきょろしていたからか、シンさんは手元のグラスに視線を向けたまま、涼しい顔で言った。
猛々しい日射しが降り注いでいた綾瀬の森公園も、この時間にもなると濃厚なオレンジ色の斜陽に郷愁を漂わせる。
この店にはいま、俺とシンさん。
ちょうど真後ろのテーブル席にいる高齢の男性ひとりだ。
わざわざ振り返るのも気まずいが、あの人はいつもあの席に座っている。
真っ白の薄い猫毛を綺麗に整え、灰色のシャツにえんじ色のベストを着た彼は、静かに珈琲を飲んでいるだろうか。
あの席はいつも指名席の札が立てられている。
シンさんの特別な客なのだろうか。
あまり踏み込んだ事を聞くのも気が引ける。
通い始めて二カ月。まだわからない事だらけだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます。綺麗です」
濃厚な赤と淡い朱色が混ざり合い、今日の夕焼けをグラスに落とし込んだようなクリームソーダだ。
浮かんだ氷の上に丸いバニラアイスと、さくらんぼがころんと添えてある。
空色のクリームソーダ
メニューにあった名前を思い出しながら、その通りだな、と窓の向こうに目を向けた。
あれ――
シンさんがいつも手入れをしている花壇の縁に女の子がひとり。
店の中を覗こうと、つま先立ちでこれでもかと懸命に背伸びをしている。
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