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「お先に失礼します」
「おう、お疲れ。明日は休みだっけ?」
汗臭い更衣室を出ようとする俺に声を掛けたのは桜木さんだ。
会社のロゴが入ったポロシャツを脱いで露わになる割れた腹筋が、汗をまとって鈍く光っていた。
桜木さんの奥の二人の視線が俺に注がれる。
まるで「あいつと仲いいんだ」とでも言わんばかりの、好奇心が隠しきれない目だ。
当たり前だが、全員と良い関係が作れている訳じゃないことは承知している。
桜木さんだけが唯一親しくしてくれている同僚だ。
「はい。次は金曜日で」
「そっか。俺も金曜入ってるわ。じゃな、気を付けて帰れよ」
更衣室の扉を閉めると、桜木さんを交えた笑い声やしゃべり声が沸きあがった。
ふざけているのか、じゃれあっているのか。
流行り芸人の一発芸を真似する桜木さんの声を後ろに聞きながら、従業員用玄関のガラス扉を押し開けた。
事務所の正面にある駐車場に出ると、持ち込みの段ボール箱を抱えた中年男性が事務所へと入るところだった。
そんないつもの風景を横目に門に向かって歩いていると、門に体半分を隠れるようにして立っている人影に、体が凍り付いた。
嘘だろ。
生唾を飲み込み、リュックの肩ベルトを握る。
落ち着け。大丈夫だ。目を合わせなければ、きっと。
精いっぱいの平静を装い、気付いていないといったつもりで横切る車を目で追いながら、女のいる門を大股でくぐって――
「ねえ」
しまった。
女の低い沈むような声に呼吸をするのも忘れて、足まで止めてしまった。
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