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手術後、麻酔から目が覚めた、ぼんやりとしたままの父さんの言葉が蘇る。
『あの男の家からお前を助け出してやれなくて悪かった。何もしてやれなくて悪かった』
朦朧とする意識のなかでうなされるように言葉にする父さんの目じりには、涙が滲んでいた。
『陰気な俺といるよりも、子供は母親といる方が良いんじゃないかと思った。あの時行かせてしまった事を、帰って来てから酷く後悔したんだ。俺は帰って来たお前と……ただ日常を過ごしていくことしか出来なかった』
ぴくりとも動かない右手の代わりに『ごめんな』と、左手で俺の頬を包み込んだ。
『それでも、俺を父さんと呼んでくれて、ありがとう』
ドアを開くと、一斉に湧いた蝉しぐれが世界を埋め尽くしていた。
家を出てからここに来るまでも騒がしい蝉たちだったが、綾瀬の森公園の蝉はその更に上をいくものだ。
こんなに静かな公園なのに、命に溢れている。
「よっ、鷹取」
「桜木さん……と翼さんまで。そうか。もう夏休みですか」
「なーによ、あたしの顔見た途端に表情が消えるってどういう事よ」
「ふたりとも、なんだかいきなり黒くなりました?」
桜木さんと翼さんは互いを見比べながら「そう?」と、ピンとこない顔をしている。
「あんたがインドア過ぎんのよ」
「わっ――」
翼さんの重い平手が右の二の腕に叩きつけられた。
ジンジンと痛む腕を押さえる俺の肩に、桜木さんの太い腕が回される。
この人の腕だけで、俺の首くらいありそうだ。
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