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あの絵は、何気なく絵が趣味だと話したことが切っ掛けで描いたものだ。
シンさんに、このお店の外観を描いてくれないかと頼まれたのだ。
梅雨の頃、ちょうどキッチンの壁裏にあたる花壇には、紫色の桔梗や、ピンクと白のナデシコが咲いていた。
「良いよ、人の心を動かすような優しさがある。なんだろうね、こう、そっと寄り添うような雰囲気なんだよなあ。上手く言い表せなくてごめんね」
「そんな。ありがとうございます」
「雨上がりのしっとりした空気感も良く表現されてるよ。独学なんだってね。センスあるじゃないか。こういうのを才能って言うんだろうな」
小野さんは「ねぇ」とシンさんに視線を向けた。
「えぇ。敦士君の人柄がよく出ている良い絵だよ。優しくて、穏やかで、繊細な絵だ。凄く気に入ってるんだよ。ありがとうね」
改めて言われると急に恥ずかしくなって、まるで殻にひっこもうとする亀みたいに身を縮ませながら「いえ、そんな」と小さく首を振るしかできなかった。
ナポリタンでお腹も満たされ、シンさんが珈琲を淹れてくれている気配を感じながら、読みかけの文庫本を手にした。
店の入り口横に掛けられた、不揃いな青いガラス玉に縁どられた枠には、日替わりBGMの曲名と作曲者を書いた紙が嵌められている。
今日は、ヨハン・パッヘルベルのカノンだ。
カウンター内の隅に置かれた、時代めいた蓄音機から流れていた。
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