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俊吾が音楽に聞き入っていると、何処からか香りがしてきた。熟れた果物のような甘い香りだ。
いい匂いだなと、鼻で反芻していると、背中にポンと手を当てられた。
「何してるの?」
聞き慣れた声に俊吾は驚いた。慌てて振り向くと、俊吾の横には横に玲が立っていた。思ってもいなかった人間の登場に、俊吾はドキリとした。
「何って……」
「上手だよねえ」
玲は唸るようにして感心を口にした。俊吾の方を向きもせず、一心に演奏を眺めている。伸ばした髪を後ろで軽く束ねていて、すっきりとした顎のラインが目に飛び込んでくる。そのビジュアルに、俊吾は一気に惹きつけられた。
「知ってる? この高校は毎年全国大会に出場するんだよ。県で一番の強豪校なんだ」
「そうなのか」
「うん。スポーツとか芸術面に力を入れていて、県外からの入学者も多いそうだよ。大きなグラウンドや寮も持っている」
「……さすがによく知ってるな」
俊吾は単純に感心した。
玲は仕事上で得た知識を口にしただけだろうが、端的にまとめられた説明を聞いて、彼が教師になりたいという夢を叶え、現役で活躍しているのをリアルに感じた。
高校時代よりもずっと落ち着いた、知的な印象だ。その感覚は、先日学校で会った時よりも、ずっと強く俊吾の中に降りてきた。
俊吾自身も、医学部へ入り医者となり、それなりの経験を重ねてきた。故郷へ戻って来たのは、双葉医院を承継するためだ。なんとか開業医になる為の準備をする段階まで辿り着いた。
お互いに大人になったな。そう思った。
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