嵐を乗り越える恋心 短編

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嵐を乗り越える恋心 短編

◇嵐の明けた曇り空  ――嵐の夜、誰もが眠れぬ恐怖を過ごした。  昨夜は、それはもう酷い嵐だった。この国では千年に一度ともいわれる災害を伴ってやってきたのである。窓を震わし激しく打ち付ける強い雨風。竜巻が襲い、轟雷も走り、外にも出れない。そのうえ、海に面した土地は津波の被害も受けてしまった。天候は最悪。連鎖する異常な災害で、住む者達の環境は壊滅的である。凶暴な嵐にさらされたことにより、あらゆるものが大きな損失を受けてしまった……。  この領地も例にもれず、荒れに荒れ果て大惨事である。復興には膨大な時間と労力を要するだろう。かつてないほど甚大な被害。甚だしい降水量により川は氾濫し、地盤も緩くなってしまった。一夜にして、近年の豊作とは比較にならない不作になったのだ。  しかしそれだけで、幸いにも死者は出なかった。 「前もって貯蓄や対策をしていたのは最適解だった。最悪の事態は未然に凌げたものの、未だ油断はできないか……」  窓から曇天を見上げ、公爵は眉間にしわを寄せた。 「いついかなる状況であれ、なにがおこるかは予測不能。気を抜かないに越したことはありません」  彼は静かで、常に冷静に物事を見ていた。いつも彼は賢く現実へ立ち向かうのだ。 「僕の心をかき乱すのは、いつだって貴女だけですよ」  陰鬱な空から目を逸らし、額に収まる最愛を見て彼は微笑んだ。 * * * ◇エレストフォード  ロモランド領主、エレストフォード・ミューズメリは平民の出でありながら、齢十八で公爵位を賜った武人である。  彼は平民であった頃からも、既に頭角は現していた。卓越した慧眼で、隙がなく冷徹で頭が切れる。交友関係も広く、良好な関係を築けている。保守的というよりは、進歩的。人並み以上の努力をし、目覚ましく才知に長けていた。何事にも貪欲に取り組んで、傑出した人物。  彼自身の能力も在り方も、お世辞なしに素晴らしい領主だ。今も領民達に大層慕われ、圧倒的な支持を受け続けている。真摯に向き合い尽くす姿勢、堅実で賢才かつ謙虚で慎ましいが、時には熱い性格も高く評価されている。新しいことに挑戦し、転んでもただでは起きない。公爵となってもなお、純朴で明鏡止水な心持は保たれたままで矜持や誇りは一切欠けていない。  此度は、長きに渡り睨み合っていた大国との戦いで武勲をあげた。周辺小国を武力で取り込んだ大帝国ロワルは、国内だけに留まらず国外までも多くの民を虐げてきた。その脅威や不満は勢いを増すばかりであったが……エレストフォードは国を脅かす危機的不利を、極めて有利に運び、そして覆した。彼は指揮能力といい、良い意味で人並み外れているといえよう。これでは敵方もひとたまりもない。  南下してくるロワルの動きを読み、最低限の防衛線をはる。そして大規模な陽動作戦にて完封。計略を巡らせて犠牲も最小限に留め、悪しき輩に制裁を与えた。散々好き勝手に暴れ権力を笠に着た帝国の首謀者らを処刑。咎人達には相応の報いを受けさせ、晴れて国の脅威は去った。このようにして、ロワルは衰退の一途をたどり、完全に滅ぼされたのである。  その後、難航するかと思われた諸々の問題をあっさりと身一つで解決。交渉へは自ら出向き、約束を取り付けていった。より強固な信頼と多額の報奨金を得て、エレストフォードはほとんどを貯蓄に当てた。  こうして彼の智略や采配、武才などが功を成し、見事打ち勝ったのだが――戦勲のみならず、さらなる人望も勝ち取ったのだから、その名声は国中で轟くこととなる。国外にも広く知れ渡っており、知らない者はいないに等しい。一人歩きした噂は脚色され、より壮大な物語となって民衆に囁かれることもあった。 「聞き及んでいるよ。隣国の素晴らしい手腕の公爵様の話は、とても」 「すっかり、有名人から偉人になっちゃったなあ。すげぇよ」 「……照れるので、ほどほどにしてください」  ロワルの束縛から解き放たれた者達は皆、危機から救ったエレストフォードを生ける伝説の武神と仰ぐ。彼は稀なる才知や立派な功績により、我が国ルグラン公国の名君として、書に名を連ねるまでになった。小説や詩で英雄として語られることもあるくらいだ。  生家は旧國軍。敵国との戦端を開いた際、国境にある砦では不動かつ強固である鉄壁の守りを一貫した防衛戦を展開し、敵軍の侵攻を一兵たりとも許さず阻止した。軍事遠征では五千の兵を指揮統率し、三万に及ぶ大軍勢を撤退させた。さらには味方全員を無傷のまま、敵国を降伏させた実績もある軍監の家だ。国内で軍事を監督する役職では最高位だったという。  厭戦的な穏健派のエレストフォードだが、戦の知識が非常に豊富なために、合理的な対策も実に細やかなものだ。叩き込まれた剣技や戦術は完全に継承している。鍛え抜かれた身は丈夫でその手はかたい。心身ともに強くあるには必須だと、鍛錬は怠らず継続している。  今でこそ平穏な国となっているルグランも、かつては酷く荒廃していた。暗黒期終焉まではセドルフ王國と呼ばれていたが、王の悪政により崩壊したこの国家は現在は旧國と呼ばれる。重税を強いて、国庫を私欲で貪り、富を消費する度民は不幸になった。それを有力な貴族達が力を合わせて立て直し、今日に至るのがルグラン公国だ。その中で最も大きく貢献したのが、エレストフォードだ。  建国当初は諍いも多くてんやわんや。あちこちで頻発する事件の解明や対処に駆り出され、それを未然に防げるように準備を整えたり、兵士を総動員して国内の支援にあてたり、国民を統制し心の不安を取り除く為の政策を練ったり、よき国家の土台を築くため革新を押し進めたり。抱える問題が多数あり、朝夕関係なく課題は山積みで仕事づくし、休みもなく国の為に働く日々……。  けれどエレストフォードにとっては苦ではなく、むしろ本懐だった。万全な体制を整え、国を快方に向かわせるには誰かが前を進み、皆を導かなくては、と――。肩にのしかかる重圧は大きくとも、緊迫した情勢の中で数々の突破口を打ち出したことで、国は徐々にあるべき姿を取り戻していった。それらは功をなし、大陸一の強国となったルグラン。以降も右肩上がりに目覚ましい発展を遂げる。犯罪の数は建国当初より激減。民は安寧と平和な暮らしを手に入れたのである。  ロモランド領はルグランの南部に位置しており、その領土は国の約三割を占める広さを誇る。豊かな自然や水源、他にはない作物や珍しい鉱物など数多くの資源に恵まれたなだらかな丘陵である。人の往来も絶えず商いも盛んで、住む者達も活発発地だ。他国も羨むこの土地は、エレストフォードの故郷として古今東西に知られている。彼の存在もまた、確実に領地を潤しているのだ。  エレストフォードは長めの黒髪を後ろに束ねており、その前髪から覗くのは有無を言わさぬ光が宿る、意志の強いカーマインの瞳。長い睫毛の下の切れ長で鋭いつり目は、射貫かれるだけで肩が竦み背筋が凍りつきそうだ。一見すると強面で冷たい印象だが、妖しい魅力がある。白磁の肌も漆黒の髪も艶があり、眉目秀麗な奥ゆかしい美男。若々しく蠱惑的な美貌には老若男女問わず誰もが振り返るだろう。  ――好意を寄せる者がいた。 「噂に違わぬ、なんて素敵な青年なのかしら……! 凛々しい面差し、冷静沈着かつ頭脳明晰で勇猛果敢ときましたら、公国最強と謳われるわけよね。強く賢く美しくの三拍子を備えた、実に優秀な美丈夫ですわよ。いかに貴方様が素晴らしいのか理解しておりますか。――ところで、お相手はいらっしゃるの?」 「いますよ。唯一無二の愛しい人が。告白はこれからですが、じりじりと距離を縮めていく予定です」 「まぁ。私の好意など、その方に到底敵いませんね! これからは恋路を見守らせてくださいな」  ――厳しい任務をこなし、主を慕う部下がいた。 「逐一、報告を怠らないこと。不正は決して許されない。反した際、釈明する無駄口ならば不要ですから」 「御意にございます! ……やはり、心の底から仕え続けられる主がいることは、至上の喜びであります」  彼は曲がったことを嫌う。そして、マメである。潔癖といえるその性格は幼少から変わらない。揺らがない芯を持ち、精神は迷い惑いに狂わされることはない。  ――気を遣ってくれる温かい戦友がいた。 「無理はするなよ。無茶を平気で難なく押し通すのも、疲れるだろう。俺が相談に乗ってやろうか?」 「貴方のことは認めてはいるが、己のできる範囲であれば頼るつもりはありません」  自身でこなせる範囲を完璧に成し遂げようとする、不器用な器量好し。  淡々とした声と表情の少なさから、いらぬ偏見や誤解を招くこともしばしばあった。だが、こればかりは仕方がないことである。  ――生き様に心動かされた領民がいた。 「ロモランド領主、ミューズメリ公爵閣下。お目にかかれて光栄です。この度我ら領民の声に耳を傾け、悲願を叶えてくださり……本当にありがとうございます……! 皆、感謝しているのです」 「礼はいらない。当然のことをしたまで。こちらこそ、よき領民を持てたことが嬉しい限りだ」  ――実力を評価し応援してくれて、笑い合える相棒がいた。 「お前はよくやってくれている。公国の平和の為に力を尽くして、立派だよ。国一番のいい男だ。なんならお前の為に書いた渾身の詩集を今から自慢してやってもいい! 昔話を振り返って、笑い合うのも一興かと思うけど?」 「悪くない提案だが、遠慮しよう」 「じゃあ、こうするか。――お互いに都合がつけば、今度飲みに行こう。愚痴にも付き合ってやるから」 「いいな、それ」  ――愛しくてかわいくてたまらない想い人がいた。 「この花、凄く綺麗ね……!」 「愛し焦がれているこの気持ちが、嘘偽りでないことを伝えたいからです。受け取っていただけますか」 「もちろん! よろこんで」  とにかく想いは一途で真っ直ぐ。伝わらないなら、幾度でも正面から心をぶつける。愛しい人への情熱は重く大きい。そんな彼は、初恋が実り愛する妻と結ばれた。頑張りやで世話焼きな妻を大切にしている愛妻家でもある。  プロポーズの際に贈った花は宝物の栞として、今でも大事にされていた。  夫婦円満で順風満帆な日々を過ごす、国一番の熱々な二人として知られている。 * * * ◇二人の馴れ初め 「率直に申します。私、恋愛不信につき……心苦しくはありますが、あなたとは婚約破棄させてください」  胸を張り凛と立つ少女は少年の目の前で堂々と告げた。 「おや。難攻不落な深窓の令嬢だとは聞き及んでいましたが、まさかこれほどとは。しかし……それは初対面の婚約者に対してあんまりではないですか?」  告げた相手は、ソファの上で優雅に長い脚を組み首を傾げる美麗な少年だ。 「きゃ……!」  少年よりも華奢な少女は容易く手を引かれ、彼の両腕に囲われてしまう。  少年少女が二人して親に押し込められた部屋。その狭い空間にはコンパクトな白テーブルと、レザー調の柔らかめなソファが一つ。  テーブルには美味しそうなチョコレートクッキーが乗った皿と、飲み干された紅茶のカップが置かれていた。  窓からは綺麗な星空と月が見え、蠱惑的な夜の世界が広がっていた。  ソファになだれ込んだ少女は今、異性の他人と過去にない近距離で向き合っている。――抱きしめられているのだ。 「無防備過ぎますね。見知らぬ相手と二人きりなこの状況下、恋愛不信というからには……異性ともっと距離をとって警戒するはず。苦しい言い訳だ」 「〜〜〜ッ!」 「ほぅ、図星ですか。貴女は本当にわかりやすいな。当然、見え透いた嘘なんて無謀です」  耳元で囁く声は甘く、口角を上げた彼は妖しい色気がある。  抱きしめる腕は強く、少女は抜け出せずに顔を真っ赤にした。 「初恋の人がすぐ近くにいる。抱きしめたい衝動に駆られるのは不可抗力でしょう」 「え!?」 「貴女からすれば、初対面だと思いますが……僕にとっては忘れられない相手ですから」  くすっと笑って洋紅色の目を細める彼は、愛おしげに少女を見つめている。瞳の奥には激しい情熱が燃え盛っていた。視線だけで溶かされそうである。  彼の様子に少女は狼狽える。脳は情報を処理できず、機能を停止。 「親が決めた政略的な婚約ですが、貴女とは恋愛結婚をしたいと思っています。隣にいるだけで満たされる想いではありません。いずれ愛し合って結ばれたい――」  そう言って急に黙る彼に、少女は名を呼んで問おうとする。 「エレストフォード、様? ……んっ……ん?!」  少女が問う前に、頬に手を添えられて唇を封じられる。さらに後頭部を寄せられ、吐息をのみこむように優しく唇が合わさる。  紅い瞳は獲物を逃すまいと捕食者のように鋭く光った。  互いの初めてのキスは、雪解けのように柔く温く濡れた。 「……はぁっ。今の、なにっ??」 「――貴女を愛しているからです。互いに初めて重ねた唇……チョコレートの苦くて甘い味がしました」 「今すぐ記憶から消して頂戴!」 「いいえ、絶対忘れません」  少女は頬を染め、乱れた呼吸は微かに早まっている。 「フフ……。告白直後に甘やかな声で名を呼ぶなんて反則でしょう。かわいすぎです――この程度のキスで音を上げるなんて、初心で愛らしいことだ。蕩けた表情は次が欲しいと誘っていますが……?」 「プロポーズは、もっとお互いを知ってから、改めてお願いします! いくらなんでも尚早です」 「わかりました。林檎のようですね、照れ顔。林檎は好物なので、食べたくなってしまうなぁ」 「もうっ! からかわないでくださいませ!」 「……はい。確かに調子に乗ってしまいました。――でも、これからは貴女へ積極的にアプローチをしていきますから……覚悟してくださいね」  上機嫌でもクールに微笑むエレストフォードは、息を乱さず動じない。  少女の唇を優しく撫で、安らぎの声色で彼は言う。 「僕の心をかき乱すのは、いつだって貴女だけですよ」  光が差したように綺麗に笑った彼は、凄く眩しくて、壮絶に美しかった。  夫婦の馴れ初めはとても甘い思い出。恋の証明は二人の幸せな明るい笑顔だった。    
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