2 助けた理由

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2 助けた理由

「“死神”……?」  私はサムの言葉を繰り返す。サムは首を傾げて、知らない? と尋ねた。知らない、と私は頷く。 「あは、オレたちのこと知らないって、ゼノ」  サムはゼノへ嬉しそうに言葉を向け、聞けば判るとゼノは息を吐いた。同じ顔ということは兄弟か、双子だろう。表情は全然違うけれど顔の造形はそっくりだ。年子というより双子と言われた方が納得する。 「知らないなら知らないで良い。既に契約したんだろう」 「した」 「え、ちょ、ちょっと待って!」  ゼノの問いかけにサムがにぱ、と笑って答えるものだから私は思わず間に入った。なに、と二人が視線を私に向ける。明るいのにどこか昏い緑の視線を浴びて私はその、と一瞬口ごもった。 「契約って……何も契約書とか交わしてないけど……」 「こんなところに紙があるわけないじゃん」  サムがきょとんとして言うことは(もっと)もだ。そうなんだけど、と私も思う。そうなんだけど、そうじゃない。 「口約束だけで契約って言ってる……?」 「助けてっておねーさん言ったじゃん。なに、嘘?」 「嘘じゃないけど……助かったけど……」  私は二人の向こうに倒れたままの巨漢の男をちらりと見遣った。起き上がる気配はない。完全に沈黙して動かない。気絶させたとかそういうことでもなさそうだ。 「あれ、死んだの……?」 「えー? 邪魔でしょ? 仲間とか呼ばれても面倒だし」  変なの、とサムは目を細めて笑う。人が死んだことも、それをゼノがやったことも、何とも思っていなさそうな様子だ。ぞく、と私の背を恐怖が走っていく。私は別に助かっていないんじゃないだろうか。もっとヤバいものに相手が変わっただけのような気がした。 「まさか契約を反故にしようとしてますか?」  ゼノが口を開いた。え。敬語使えるんだ、と私が驚いている間に、ホゴ? ホゴってなに? とサムが訊く。「なかったことにしようとしてるってこと」とゼノは答えた。あ、教えてあげるんだ、優しいななんて私は不覚にも思う。ありがと、と笑ってお礼を言ったサムは、え、と驚いた表情を浮かべて私を見る。そのズレたテンポの反応に私自身の反応が遅れた。 「口約束でも契約は契約。あなたは助けてほしいとデカい声で言った。僕もサムも聞いてる。それに応える前にサムが契約だと宣言し、あなたは否定しなかった」  ゼノが私に近づいた。いや、否定も何も意味が判らなかっただけなのだけど。でもそう言い訳するより前にゼノは私の目の前に到達して屈む。右手に持ったナイフを上下に振りながら私を指した。鞘に入っているとはいえ危ないと思う。 「あ」 「その時に契約は締結され……なんです」  ゼノが話している最中に私が声をあげたものだから、ゼノは目を細めた。不機嫌そうに歪んだ綺麗な目は歳下だろう少年にしては怖かったけれど、私はそれよりも気になるものが目の前に突き出されたせいでそれどころではない。 「これ、ウチのナイフ……!」  ナイフの鞘なんて消耗品であまり大きな差はない。だから近づくまで判らなかった。鞘にはフォスターの家名が焼き付けてある。刃物職人の父が打って、革職人から仕入れた家名の焼印入りの鞘に収めて売る。私は今日、この革職人から鞘を受け取りに行くために出かけて誘拐されたのだ。 「……あぁ、フォスター家のお嬢様か。重宝してますよ。切れ味鋭く、刃こぼれしにくい。するりと獲物の肉を裂いて皮を剥ぐのも手間取らない。あぁ、はは、の話です」  ゼノが笑んだ、ように見えた。サムに比べれば表情はあまり変わらないけれど口角が上がっているのが判る。ゼノの言う“動物”が何を指しているか考えないようにした。具体的な場面が浮かびそうになる。  オレもオレも、とサムがナイフを上着のポケットから取り出した。左手で見せてくるそれはゼノが持っているのと同じフォスター製のナイフだ。  ウチのナイフで人殺しなんてやめてほしいけれど、刃物である以上は避けて通れない。凶器になりうることを解りながら父は刃物を打ち、そう使われないことを願って売る。その願いが届かないことは今ので解った。 「まぁ良いわ。助けてもらったことは事実だし。お礼を言う方が先だったわね、ごめんなさい。ありがとう、サム、ゼノ」 「……」  私がお礼を言うとは思わなかったのか、サムもゼノも黙ってしまった。なに、と今度は私が問う。あは、とサムは笑ってゼノは、いえ、と首を振った。 「おねーさん、面白いねぇ」  蕩けるような表情でサムが私を見た。今のどこに面白さなんてあったかと心外に思ったけれど、ありがとう、と答えておく。 「そういう反応は予想してなかったな……サムが良いなら良いか」  ゼノがそう呟いた声は聞こえていたけれど反応しないでおいた。面倒そうだ。 「でもどうして私を助けようとしてくれたの? その、お礼らしいお礼はできないんだけど……」  特に報償とか謝礼とか、そういう類の。私は今、考えることが多すぎる。この状況を理解して打破しなければ。まだ苦境に立たされていることには変わりないだろうから。 「えー? 別に良いよ、お礼なんて。オレたちの方がお礼なんだから」 「え?」  サムが笑って答える。私が目を丸くしたら腰を据えて話そうというのか、サムが腰を下ろした。ゼノも倣って屈んでいたところから座り込む。けれど二人ともいつでも立ち上がれそうな俊敏さを感じた。 「オレたち、ちょっと下手踏んでこの建物の下で捕まってたんだぁ。こんなか弱い少年を捕まえて大の男が三人がかりだよ。ひどくない?」  きょるん、と訴えるようにサムが私を見る。う、うーん、うん、と悩みながら肯定した。先ほどの凶行を見ていてか弱いとはとても思えなかったけれど、頷かないと話が先に進まなさそうな気がしたせいだ。 「あーこれはマズったかなぁ、ここまでかもぉ、って思ってたところにヒラヒラ舞い降りた天の助け」 「シーツが降ってきた」  サムの言葉を捕捉するようにゼノが言う。そうそう、とサムは頷いてゼノは頷いた。はぁ、シーツ、と私は思う。今日は洗濯日和なのかあちこちで洗濯物を干している家があるのは見渡せば分かる。この屋上でも干していたくらいだ。鈍色の世界ではよく判らないけれど、洗濯日和、なのだろう。 「男の頭に被さって脱げなくてあたふたしてんの。あー、最後に笑わせにきた、と思ってさ。ゼノと二人で笑ってたら、今度は植木鉢がドーン!」 「植木鉢が降ってきた」  ゼノがまた捕捉のように言ったけれど今回は別になくても解った。はぁ、植木鉢、と思ったところで、え、と私は気づく。それって。 「襲われてんのか、って思って残った男が上を向いた隙にこう脚で首を挟んで、ぐいっと。手だけ縛って安心してんだもん。三人がかりじゃ押さえ込まれて勝ち目なかったけど、ひとりなら別に困んねーし。シーツ被ってた方もゼノが同じことしてた。植木鉢の破片でお互いの縄を解いてさ、植木鉢が当たったやつも呻いてたから念入りにやっといたけど」 「……」  それは補足がないんだなと思ってから、いや、補足なんてなくて良い、と思い直す。念入りに何をどうしたかなんて聞きたくない。それよりも私はそのシーツと植木鉢の出処が気になって仕方がなかった。 「オレたちのこと見て助けてくれたのかなって思ってさ。ゼノは階段から、オレは壁を登ってここまできたんだ」 「待って、壁を登ってきたの?」  あまりにも聞き捨てならないから話の途中で割って入ってしまった。サムはケロッとした様子で、うん、と頷く。サムは壁登りが凄いので、とゼノが補足のように言うけど想像したら目眩がした。四階分はあるだろうこの屋上まで、壁を登ってきたなんて意味が判らない。いや、そうなんだろうけど。そうじゃなければ屋上の端で追い詰められていた私の背後から現れるなんてこと、できるわけがない。 「おねーさんが助けてって言ってたの聞こえたから。階段からきたゼノのことあいつは気づいてなかったし、助けてあげられるなって。ここにくるまで誰もいなかった。いやまぁ、いたけど、オレたちを助けてくれそうな人じゃなかった。それならおねーさんかなって。物、散らばってるし。抵抗したんでしょ」  サムが目を細めて微笑んだ。優しい眼差しに見えて、私は急に恐怖を包み込まれたような心地を覚える。涙が滲みそうになる感覚を抑え込んで頷いた。 「だからこれはオレたちのお礼。揶揄ってごめんね。あの時だけの契約。もう果たされたよ」  サムの声は優しい。暴力と隣り合わせで、厭わないように話すくせにどうしてそんなに優しい声が出せるのだろう。 「オレたちこそ、ありがとね」  ほらゼノも、とサムが促す。ありがとうございます、とゼノは何とも思っていなさそうな表情で頭を下げたけれどサムはそれで良いと思っているのか何も言わなかった。 「あーでも、おねーさんがどーしてもお礼がしたいって言うなら」  サムが何か思いついたかのように話を続ける。え、これ今ここで終わりそうな流れじゃなかったか、と私は思うけれどサムはにぱっと笑っていてそうは思っていなさそうだ。どうしてもなんて私、ひと言も言っていないけれど。お礼らしいお礼はできないと言ったはずだけど。 「オレたちのこと、庇ってくれると嬉しいなぁ。ほら、本来ならやっちゃいけないことだし。でも何だっけ、何とかってやつなら見逃されるんでしょ? おねーさんを守るためって言えばか弱いオレたち、見逃されると思うんだぁ」 「正当防衛」  ゼノの補足に、そうそれ、とサムはゼノを指差した。それと同時にゼノは男の死体に駆け寄り、サムはナイフを上着のポケットに仕舞うと私を正面から抱き締める。なに、と私が目を白黒させると同時に階段を大勢が駆け上がる足音がして開いていた扉から屋上に人が流れ込んできた。 「セリナ!」 「お……お父様……!」  抱き締められたサムの肩の向こう、血相を変えた父親が駆け込んできて私は目を真ん丸に見開いた。
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