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 田中の病室は今日も静かだった。  琴葉は買ってきたプリンを食べながら、寝ている田中に背を向け、夕焼けのオレンジ色の空を窓から眺めた。 「セイさん、今日、ララさんって人と会ってきたよ。覚えてる? セイさん、本当はショウって名前だったんだね。マサはリクだった。違う人みたいだね、名前一つで。あ、でもセイさんはそんなこと知ってるか。鳥羽先生だったんだもんね……違う人になりたかったんだね」  琴葉は小さく息をついた。  そして椅子を反転させて田中を見る。  ただ、証拠はない。ショウ、リクという名前だって、ララが呼んでいたに過ぎず、カナという2人の母親らしい女性が命名したのかどうかもわからない。 「セイさん、やっぱり一瞬でいいから起きてくれないかな。マサに、大事な弟だったって言ってくれるだけでいいから。それでマサも納得すると思うからさ」  琴葉は引き出しに入れていた石を取り出した。 「これ、お守りの石だったみたいだね。移民として来る人が、無事に新しい土地でやっていけるようにって、願掛けみたいなのするんだって。中に結晶があるから……って。そういえば、マサがこれを見たときも言ってたよ、結晶の中に水分?だっけ?で、光で色が違って見えるとか何とか。でも日本じゃ見つかってないって言ってて。これ、テシェルの石なのかな」  答えはない。  だよね。  琴葉はもう一度息をついた。 「マサ、これが日本にあると思って、あちこち調べてたのに。無駄足だったよね。マサ、今、テシェルにいてね、セイさん、何か知らないかな。ヒントでもあればね……マサ、セイさんのためにも証明したいんだと思うんだよ。マサはうちの父さんに捕まって、ちゃんと証明されたけど、セイさんは中学生ぐらいまでが謎なわけじゃん。それを証明したいんだと思う。ちゃんとセイさんはいたんだってこと。ルーツもちゃんとあるって」  琴葉は「そうかぁ…」と自分の言葉に納得した。  そうかもしれない。兄は、自分が田中の存在を証明できなかったことに責任を感じているのかもしれない。田中がそれを望んでなくても、兄はそうしたいと思ってしまった。 「バカだな……ね、セイさん、マサはバカだよね。セイさんは、たぶん、昔のことなんか証明されたくないよね。じゃないと、鳥羽って名前に変えたりしなかったよね。ごめんね、マサってば、人の気持ちを察するの苦手なんだよね。言ったことをそのまま信じるしかできないんだ。だから、言ってあげて。もういいよって。探さなくていいんだよって」  そうは言っても、やっぱり反応はない。  琴葉は窓の方に向き直った。空はだんだん暗くなり始めている。 「はぁ……」  琴葉はプリンのクズをゴミ箱にいれると、カーテンを引いて立ち上がった。  その瞬間にピーッとエラー音みたいなものが響いて、琴葉は飛び上がりそうになった。 「え? え?」  当惑していると、看護師が走ってやってきた。 「処置しますね、ちょっと失礼します」  と看護師が言って琴葉は個室からそっと廊下に出された。 「セイさん、ちょっ……待って。セイさん、あとちょっとでマサも帰って来るから」  琴葉はそう言ってみたが、中で何がどうなっているのかは全くわからなかった。
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