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田中の病室に入った正寅は、もう何も迷っていない様子でポケットに入っていた石を出して、田中に握らせた。田中に握る力はないので、正寅が上から手で覆って握らせる。
琴葉はそれを少し離れて見ていた。
桜庭と久寿は病院までは来なかった。きょうだいで話をしておいで、と2人は琴葉と正寅を見送った。
琴葉は兄がテシェルのことでも語るのかと思っていたが、兄はしばらく手を握ってじっと田中を見ていただけだった。心の中ではきっといろいろ話していたのだろうが、口には出さなかった。
看護師がやってきて、先生とお話できますが時間は大丈夫ですかと聞いた。
「はい」
と、正寅は戸惑いも見せずに言った。
その横顔には、もう覚悟ができていて、琴葉はさすがだなと思った。
それからのいろんな説明や手続きに追われ、兄はとても忙しそうだった。
やっぱり少し寝てからの方が良かったんじゃないか、と琴葉も思ったぐらいだ。
正寅は少しでも待ち時間があると、待合室や田中の病室の椅子に座って寝た。どこでも短時間でも眠れ、そして起きられるのが兄の職業病らしいが、それでも、カップラーメンを待つ時間でさえ寝てしまう兄を見ていると、もうちょっと寝かせてやりたいと琴葉は思った。
「ラーメン、うまい」
正寅は歓談室で、カップラーメンをしみじみ味わって食べていた。琴葉は家に帰っていいと兄に言われていたが、立ったままでも寝てしまいそうな兄を置いていくわけにもいかず、一緒に付き添っていた。昼食はコンビニのおにぎりですませる。
「んで、つわりとかは大丈夫なん?」
正寅がラーメンついでに聞いて、琴葉は兄を見つめた。
「私、言うた?」
「いや。カフェインもアルコールもカップラーメンも控えとるし、トシから心配する連絡がしょうっちゅう来とるし、毒舌が控えめやし」
「毒舌、関係なくない?」
「俺、伯父さんやん。血はつながってないけど」
正寅が嬉しそうに言い、琴葉は小さく笑った。
「まだ初期やから、安定したら言おうと思っとったんよ。マサ、家族愛が重いから、万が一、流産してしもたら、マサが一番凹みそうで」
「なんでや。おまえらやろ。んー、そうやな、確かに初期はわからんからな。まぁでも、おめでとう。いつ?」
「ありがとう。11月」
「そか。俺、アレやな、もう役目終わった感じやな。琴葉も結婚して、子どももできたら、俺はもう用済みやな。籍、抜いたほうがええやろか?」
「なんで?」
琴葉は笑った。意味がわからん。
「責任、取らんとな。俺、琴葉の父親、死なせてもたからな。責任が」
「マサ、籍抜いたら、私、酒飲んで煙草吸ってトランポリンで飛びまくるで」
「なんやそれ。楽しそうやな」
正寅はラーメンをずっとすすってから笑った。
「本気やで」
琴葉は口を尖らせた。
「じゃぁやめとく」
「うん」
「母さんには?」
「言うたよ、そらそうやん」
「桜庭は?」
「え? 知っとる……かもしれん」
「なんでや」
正寅はいつものパターンにヘラっと笑った。
「おまえはもう帰れ。まだ何時間もかかるし。トシ、呼ぶか?」
「え、でも」
琴葉は兄を見た。
「俺も先生のとこで寝る」
正寅はカップラーメンのゴミを捨てると、ちょっとフラフラしながら病室に戻って行った。琴葉も心配で付き添ったが、兄は田中誠太郎のベッドに両手を組んで頭を乗せ、一瞬で眠りについた。
「無理、せんといてな」
琴葉は正寅の耳元で言い、それから病院を出た。
確かに、ちょっと疲れた。無理はしないほうがいい。
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