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 琴葉がピアノを弾いていると、夫の久寿が帰ってきた。 「おかえり」  ピアノのある防音室から顔を出すと、久寿はいつもの柔らかい笑顔で笑った。 「ただいま。何、弾いてたの? 胎教?」 「あ、そうだね。モーツァルトでも聞かせてあげたら良かった。トルコ行進曲弾いてた」 「わぁ、お腹蹴飛ばしてなかった?」 「それはまだかなぁ」  琴葉は久寿が自分の腹部に目をやるのを見て笑った。 「今日、マサと電話したんだけど、ちょっと言いそうになった」 「え、安定期入ってからって言ってなかった? 御崎さん、元気だった?」  久寿は少し嬉しそうに聞いた。  夫の久寿は、琴葉の兄の御崎正寅の後輩に当たる。とはいえ、彼は災害救助隊員ではなくて、都市計画などが専門の役人で、被災地の復興計画などで兄とも顔見知りだった。  岩石ハンターの父に似て、災害救助隊員でありながら、いろんな珍しい石やら何やらを見つけては注目される兄は、政治家にも「面白い奴」らしく、話題作りに政治家の会合に呼ばれることが多かった。それで久寿とも何度か顔を合わせ、年も近く、仕事の話も合ったようだった。  そんなとき、琴葉が政治パーティのゲストのピアニストとして呼ばれた。  久寿は一目惚れだったという。  正寅との友人関係も育みながら、久寿は琴葉へのアプローチも忘れなかった。  兄はそういった水面下のことには全く気づかなかった。ほぼ同じ頃に田中と出会い、田中の起こした事件に巻き込まれていたのだから仕方ないとも言えるが、もともと鈍感なので、何もなくても気づかなかっただろう。 「元気みたい。まだもうちょっと向こうで頑張るみたいだけど、3️日ぐらいしたら本隊が来るから帰れるって」 「あぁ、そうだな、臨時のつなぎだもんな。つなぎにしては滅茶苦茶いい働きしてるって好評だからなぁ。本隊に残れって言われないといいけど」 「えぇ? マサ、死んじゃうよ。帰してあげてよね」  琴葉は頬を膨らませた。 「御崎さん、使いやすい人なんだよな。ほら、鉄板ネタ持ってるし、顔広いし」 「顔広いんじゃないよ。炎上したの」 「そうだった」  久寿は肩をすくめた。 「でも、あの人、傷ついてるくせに、ちゃんと利用するよね」  確かに。琴葉も苦笑いした。 「利用しないと、トラウマ損って言ってたから。大阪人のサガかもね。あ、聞いて。今日はね、深井ミートのコロッケ買ってきた」 「やった。モッツァレラあったよね。カプレーゼでも作ろうか」 「えへ、もう作ってあるよ。切っただけだけど」 「え、最高。ピアニストに包丁持たせて、御崎さんに怒られるかも。内緒な」  久寿が言って、琴葉は笑った。 「なんかトシもマサに似てきたよね。私、彫刻刀だって持っちゃうから」 「いや、マジそれはやめて?」  久寿が真顔で言って、それが面白くて琴葉は笑った。
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