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路地を抜け、大通りに出ると、道の持つ空気が明るく澄んだ気がした。
さっきまでの地区は灰色がかっていたが、こっちは白く輝いて見える。空気も軽い気がするのは、気のせいだろうけど、タバコの煙がないだけ澄んでいるのは確か。
琴葉は英国風のカフェで、デカフェのアールグレイを飲んでいた。桜庭はスコーンとミルクティーを美味しそうに嗜んでいる。
「確かにさ、鳥羽っちは苦労したみたいだね。トラがぬくぬくと御崎家で育っている間、鳥羽っちはたぶん、ああいう仕事もせずにダラダラしてる父親に殴られてたんだよ。あ、だからって、悪くないわけじゃない。鳥羽っちは悪い。本当に悪い」
桜庭は中立になろうとして、いろんなことに気を配りながら言う。
琴葉は頬杖をついた。
「マサもね、なんであの人に執着するんだかって感じだけど、わかるような気もするし。私もどう思っていいのか、わかんない」
「コトちゃんは憎んでいいんだよ」
桜庭が断言して言って、琴葉は彼女を見た。
「コトちゃんは憎んでいい。絶対に」
桜庭はそのときだけは、ちょっと怖いぐらいに真剣に言った。
「トラは、鳥羽っちの弟だけど、コトちゃんは違うもん。鳥羽っちは、コトちゃんの家族を奪ったんだよ。憎んでいい」
「父さんは、マサの家族でもあるんだけどなぁ。マサ、何考えてんだろ。時々、わかんなくなる」
「トラはコトちゃんのこと、ちゃんと大事に思ってるよ」
「それはね……わかるんだけど」
琴葉は息をついた。
兄は家族を大事にする。きっと兄にとって、田中誠太朗だって家族じゃないか、ということなんだろう。田中が琴葉の父である御崎孝雄を殺害したことも事実で、それについては兄も怒っていた。怒りまくっていた。でも同時にきっと、田中という血のつながった家族に対する感情も捨てきれないのだろう。
「トラはたぶん、テシェルでも珍しい石を見つけて喜んでるよ」
桜庭がジャムを乗せたスコーンを味わいながら目を細めた。
「だね」
琴葉も苦笑いする。それは確か。
兄は石拾いをしていて、山奥で琴葉の父に拾われたが、そうなって良かったと琴葉は思う。琴葉の兄になってくれて良かった。田中みたいにならなくて良かった。
「鳥羽っち、昨日は危なかったってね」
桜庭が言って、琴葉は紅茶のカップを皿に置いた。
数ヶ月に一度、田中はぐっと調子が悪くなったり、目が覚めるんじゃないかって思うほど、調子が良くなることもある。昨夜は調子が下がったのだった。琴葉は田中の延命を希望したことはないが、せめて兄が戻ってくるまでだけでも生きてほしいと初めて思った。
「そう。マサ、早く帰ってこないかな。今日、テシェルに自衛隊着くんだよね?」
琴葉は今朝見たニュースを思い出していた。輸送機にたくさんの隊員が乗り込むのを見た。
「そだね、あの輸送機で、救助された日本人が戻るって言ってたよ。トラも一緒に乗せてもらえるんだと思う」
「良かった。すごく疲れてそうだったし」
「英語もまともに喋れないのに、テシェル語は全然わかんないから」
「だよね。よくやってるな。ある意味、尊敬」
琴葉はため息をついた。
「ノリで生きてるからね。とにかく、トラが戻ってきたらいいニュース伝えられるように、頑張ろ」
「だね」
琴葉は気持ちを立て直して頷いた。
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