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『帰れなくなった』
夜に兄からメッセージが来て、琴葉は眉を寄せた。
時計を見て、まだ大丈夫だなと思う。そして通話に切り替える。
「マサ、どういうこと? 今日の便に乗るって言うてたやん」
「えー、俺かて、帰りたかったよ」
本気でがっかりした声がして、琴葉はちょっと勢いを緩めた。なんだ、ワーカホリックで残ったんじゃないんだ?
「本隊来て、迎えの車出せって言われて、なんで災害救助に迎えがいるねんて思ったら、議員さん来てて。その人に振り回されたってぇか……もう……聞いてくれるか?」
そう言って、兄は議員に振り回れた顛末を恨みがましく語った。
政治家がらみのせいか、あまり詳しくは言ってくれなかったが、とにかくその議員に振り回されているらしい。
「自衛隊も絡んできて、何かもう……俺、一生帰れんかもしれん」
兄は泣きそうになっていた。
数年前、琴葉の部屋に短期間だが兄は居候していた。SNSの炎上騒ぎに巻き込まれ、災害救助隊を一時的に辞めて、隊に請われて復活したものの、続けられるか自信がないからと寮に入るのを拒んでいたのだ。
その頃、兄はよく暗い部屋でしょぼんと壁にもたれて小さく座っていた。仕事で失敗したとか、自己嫌悪とか、そういうちょっとしたことで。炎上のトラウマから、精神的に敏感になっていたのだろう。
「マサ、一生ってことはないわ。さすがに。災害救助隊からの派遣で行ってんねんから」
「え、御崎さん? 喋っていい?」
風呂上がりのホカホカ顔で、久寿が顔を近づけてきた。
「ちょっとだけね。凹んでるから」
琴葉が言うと、久寿は嬉しそうにOKサインを作った。
「御崎さん! ご無沙汰してます! 渡辺です」
「トシ、おまえ、議員接待に俺を使うな、おかげで帰れんくなったやないか」
「僕じゃないっす。冤罪です。テシェルでの活躍、日本にも響いて来てますよ。御崎さん、めっちゃ評判いいっすよ。そのせいですよ、何かアレよアレよって感じで、御崎さんの名前が上がってしまってたんですよ」
「阻止しろよ、クソ」
「できませんよぉ。僕、下っ端だし。御崎さん、早く帰ってきてくださいね。会いたいです。テシェルの話も聞かせてください」
「帰りたいよ、俺も……」
「マサ、大丈夫?」
琴葉は思わず会話に入った。
「んぁー、今、点滴してて」
「え? なんで? 怪我した?」
「いや、脱水……的な。睡眠薬入ってんのかな……眠いから切るわ、ごめん」
「え、じゃぁまた連絡してね、絶対」
琴葉が怒鳴るように言うと、兄はまた「んぁ…」と微妙な返事をした。
「じゃぁ切るけど、また明日、連絡するね」
「おぉ、おやすみ」
そういうところは律儀だ。
「おやすみ」
琴葉はそう言って、通話を切った。
「うわぁ、御崎さん、大変そう。緑川議員って結構強引だからなぁ……」
久寿が顔をしかめて言った。
「マサが向こうで接待してる議員さん?」
「うん、でもホテル案内ぐらいって聞いてたけど。わがまま言われたのかな。まさか観光したいとかは言われないと思うけど」
久寿は、風呂後のいつものルーティーンで、冷たい牛乳を飲む。
「コトちゃんも飲む? 温かいのがいいかな。ホットレモネード?」
「お願い」
琴葉は口を尖らせて、スマホでテシェルを調べた。
もう既に1週間が過ぎているので、わざわざ検索しないとテシェルのニュースは上がってこない。
コポコポと久寿がマグカップに温かいお湯を注いで、レモンの香りが広がった。
「あ、優子ちゃんだ」
琴葉は桜庭からのメッセージを開いた。
「わ、すごい。優子ちゃん、ホントに神。セイさんのこと、知ってる人を見つけたみたい」
「え? 桜庭さんってすごいね、探偵みたい」
琴葉が座っていたソファの隣に久寿が座って言った。
「元々、人の首根っこ押さえるのが大好きな人なんだよね。今の彼氏が刑事さんだから、それもフル活用してそう」
琴葉が言うと、久寿は眉を寄せた。
「それ、違法じゃないの?」
「違法なとこまで使わないのが優子ちゃん。グレーなところでうまくニコってごまかすのが得意なんだよね。マサにもそれを教えたみたいなんだけど、マサはうまくできなくて」
「御崎さんは無理だよ。僕、桜庭さんに弟子入りしようかな」
「しな、しな。出世するよ」
「あーでも、僕、御崎さんのことも尊敬してるんだよな。どうしよう」
「マサぐらい、天然に愚直でも出世しちゃうんだよね。トシ君はどうかなぁ、どっちとも違うような気がするけど」
「どっちつかず?」
久寿がへの字口で言ったので、琴葉は笑った。
「そうは言ってないでしょ。2人とは違うってだけ。ほら見て、古畑はやっぱり近かったんだよ。古畑の近くの町だって。ああーーでも、この人、今、東京で仕事してるんだって。優子ちゃんが話聞きに行くって言ってるけど、一緒に行ってもいいかな。怖いかな?」
琴葉が言うと、久寿は眉を寄せて詳しい情報を知りたがった。
「えとね、約束はまだだって。女の人だよ」
「でも男と来るかもだよ。桜庭さんの彼氏も一緒ならいいけど」
「花岡君ね……優子ちゃんの方が強いかもだよ」
「そうなの?」
「うん。まぁでも、一応官憲寄りがいたらいいよね。お願いしよっと」
「やっぱり桜庭さんに弟子入りしよう」
「人生経験として、いいかもね」
琴葉は桜庭にメッセージを打ちながら、小さく笑った。
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