8.誰かではない

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 半分以上ライトが落とされたフロアを歩く。新入社員研修や株主総会の準備などが重なるこの時期、休日出勤するのは人事部と総務部がほとんどだ。その奥に三課の島がある。百瀬と二人で木崎の席へと向かえば、挨拶もなく簡潔に状況を説明される。 「配送中にグッズの一部が破損した」 「配送トラブルですか」 「そうだ。使った業者が悪かった。うちの指定業者じゃない。案内はどうなってる?」  搬入には指定業者を使ってもらい、営業所から一括で運び入れることになっている。 「案内には記載してありますが」 「確認は入れなかったのか」  被せるように尋ねられ、言葉に詰まる。ほかの企業を含め、そこまでの確認はしていない。だが、ファンゲームはイベント自体が初参加だ。それを踏まえた上でのフォローが必要だったということだろう。 「――す」 「すみません。自分が言うべきでした」  俺が頭を下げるより早く、百瀬が大きな体を勢いよく曲げた。確かに百瀬なら言う機会はあっただろう。ファンゲームからの連絡は常に百瀬宛てだった。でも、きっとそれは俺のせいでもある。 「すみません。俺が確認するべきでした」  求められていなくても、担当者であることに変わりはない。それなのに俺は、相手の都合に合わせるだけで自分からは動かず、必要なフォローを見逃した。 「起きたことは仕方ない。大事なのは明日のイベントをどうするか。破損は三分の一程度らしい」 「無事なのは三分の二……。と言っても、ファンゲームさんはもともとの数量が少ないですよね。いっそゲームの景品として使うのは……無理ですよね。物販情報出てますし」 「物販として見込んだ利益もゼロになるしな」 「破損したものは使えないですよね。品質にはこだわっているでしょうし」 「そうだな」  目の前を過ぎていく会話。聞くことしかできない自分。このトラブルをどうすべきか考えなくてはならないのに、言葉は何も出てこない。  中村さんが相談したのは木崎と百瀬で、木崎が呼んだのは百瀬で。俺は初めから頼りにされてすらいない。俺がここにいることを望むひとなんて誰もいないし、俺の意見なんて必要ないのかもしれない。  でも、だからといって投げ出していいわけじゃない。与えられるのを、誰かの答えを待っているからダメなんだ。ここにいる意味は自分で作るしかない。  そっと息を吸い込み、考えを組み立てる。品質へのこだわり。リアリティの追及。明日までに取れる手段。うちだからできること。うちにしかできないこと……。 「――うちで補修しましょう」 「補修?」 「破損を活かした補修にするんです。修理スペースで行うのは可能ですよね。それに」 「津島」  説明を遮った木崎が電話へと視線を向ける。 「中村さん、説得しろ。責任は俺が取る」  デザインから販売まで全工程を自社で行っているところだ。誰かの手が入ることをよくは思わないだろう。でも、それだけこだわる意味は百瀬が教えてくれた。 「――やってみます」  信頼には届かなくても。誰かの意見ではない、自分の言葉で今度こそ伝えたい。それが今の俺にできる『津島にしかできないこと』だと思うから。  呼び出し音は二回で途切れる。名前を告げれば、中村さんの声がわずかに強張った。期待していた相手ではないというのが伝わってくる。それでも、もう逃げたくない。 「破損した商材ですが、弊社で補修させていただけないでしょうか」 「補修程度でどうにかなる問題では」 「補修はあくまでケガなどの事故を防ぐためのものです」 「それではうちの商品として出せません」 「ええ、『ファンゲームのグッズを弊社が補修したもの』になります。ですが、今回のグッズであれば、リアリティの追及という方向になるのではないでしょうか」 「今回の……」 「はい、今回のゲームの特性です。それと、補修分についてはこちらですべて買い取り致します。修理スペースの宣伝になりますので」 「――なるほど」  表情は見えない。吹き出しを確かめることはできない。それでも伝わってくる。中村さんがこちらの言葉を真剣に受け止めてくれているのが。見えるかどうかじゃない。大事なのは、相手をわかりたいと思うかどうかだ。 「どうでしょうか」 「わかりました。……本物のゾンビらしく仕上げてくださいね」  通話が切れると同時、肩から力が抜ける。早く報告しなくては、と顔を上げれば、二人とも電話中だった。ちょうど受話器を置いた百瀬と目が合う。 「お疲れ様です。担当者にはもう連絡済みです」 「え?」 「津島さんが話し始めたタイミングで『関係各所に連絡しろ』って課長が。津島さんなら説得できるって、確信していたみたいです」  木崎へと視線を向ければ、業務中にしては珍しく口元が笑ったように見えた。
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