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でも、本当は何ひとつ諦めてなんかいなかった。俺の心は変わらないまま今もここにある。あるから、こんなにも痛くて苦しい。
「俺は別れてよかったなんて、一度も思えなかった」
振り払った手の衝撃が、投げつけた言葉の後悔が、何も聞かずに逃げ出した自分の弱さが何度でも痛みを鳴らす。忘れたことなんてない。思い出す必要もないほど、ずっとそこにあったのだから。
「朝陽」
「俺は、今も……瞬が好きなんだ」
相手の望む言葉ではない。俺自身の言葉。伝えたところで意味はないのかもしれない。それでも言いたい。伝えたい。瞬にだけは、知っていてほしい。
「瞬は――もう、俺のことなんて忘れ」
「忘れるわけ、ないだろ……っ」
言葉を被せられると同時に腕を引かれ、抱き締められる。ぎゅっと込められた力に心臓まで痛くなる。指一本動かせないのに、記憶に染み込んだ匂いが体の強張りを解いてしまう。緩んだ隙間から嗚咽が零れ落ちる。六年の間、ずっと押し込めてきたものが溢れ出す。それは俺だけじゃない。
「俺だって別れたくなかったよ」
力が緩められた隙間、向かい合った瞳が同じだけ揺れる。
「あのときの俺は、自分が目指していたものも夢も全部忘れるしかなくて、そうすることでしか立っていられなくて。……怖かったんだ。朝陽を巻き込むのも、『別れたくない』って言われて決心が揺らぐのも。だから」
「なんだよ、それ。勝手すぎるだろ」
いつもそうだ。ワガママで自分勝手で、周りのことなんて気にしない。俺とは正反対。それなのに、俺にだけは優しい。そういうところが好きだった。
でも、俺はもう優しく守られるだけの弱い自分でいたくない。
「巻き込めばいいよ。俺は不幸になんてならないから」
「でも」
「不幸だって言うなら、このまま何もできずに離れる方が俺にとっては不幸だよ」
「二か月後どこにいるかわからないよ、俺」
「電話くらい通じるだろ」
「通じなかったら?」
「会いに行く」
俺は瞬のように闘ってきたわけじゃない。周囲には恵まれていた方だろう。それでも俺はもう自分が幸せだとは思えない。
「俺がそばにいても、瞬は不幸なままなの?」
一瞬固まった表情が、ふっと崩れる。振動が触れ合っているところから伝わってくる。小さな笑いを纏わせながら瞬は言った。
「……いつのまに、そんなに強くなったの?」
「瞬が勝手に俺を一人にしたからだろ」
「そっか。そうだな」
ごめん、と落ちてきた言葉は柔らかく、胸の奥、痛みを鳴らし続けた場所をそっと包む。
「朝陽」
瞬が名前を呼ぶだけで、まるで今生まれたばかりのように、輪郭が鮮やかになっていく。誰かに望まれて作るのではない、俺自身の望む自分が作られていく。
「あのさ……」
熱の籠る息の中で瞬が言う。
あの日聞けなかった言葉の続きを。
「俺はずっと朝陽のことが好きだから。それだけは変わらないよ」
だからもう一度そばにいて、と消えていく距離へ声が落ちていく。うん、と頷くより早く唇が触れ合う。目を閉じてしまったから表情は見えない。でも、きっと伝わっている。心なんて見えなくてもわかる。
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