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10.春の先へ
フロアへと戻る途中、給湯室から百瀬が顔を出した。
「飲まずに待ってたのに。冷めちゃったじゃないですか」
百瀬は二人分のコーヒーをマグカップに移し、電子レンジで温め直していた。紙コップのまま入れようとしたのを佐藤さんに止められた、というのは頭上の吹き出しから勝手に読み取る。
「それも温めますか?」
百瀬が俺の手元へと視線を向ける。指先から伝わる温度は低い。飲み頃はとっくに過ぎている。
「じゃあ」
お願いしようかな、と差し出せば、百瀬が受け取るより早く「これは俺が飲むからいい」と横から攫われる。先戻ってる、と冷めたコーヒー片手に瞬はさっさと歩き出す。
「……うまくいったんですよね?」
温め終わったコーヒーを取り出しながら、百瀬が視線を向けてくる。
「さっき畑中先輩と嫌な雰囲気だったんで、木崎課長に言ったんですよね。津島さんなら大丈夫だとは思いますけど、一応って感じで。そしたら『それで、なんで戻ってきたんだ』って怒られちゃって」
怒る? 瞬が? 差し出されたマグカップを受け取れば、薄く湯気が見えた。
「なんか自分と津島さんが付き合ってるって思ってたみたいですよ、課長」
「えっ」
「いつも冷静な課長が『俺が行く』って飛び出していったんで、そういうことかなって」
ふわりと浮かんだ吹き出しには『津島さんいい顔してるし、うまくいったってことだよな』と書かれていた。
「それは……なんか、いろいろ悪かったな」
「いえ、自分も昨日いっぱい迷惑かけたんで」
マグカップを手にしたまま、フロアへと歩き出す。冷めたコーヒーは瞬が引き取ってくれ、手元には温め直されたコーヒーがある。苦手なものも嫌いなものも二人でいれば消えてしまう。
「明日のイベント、頑張りましょうね」
けれど、答えはそれだけではないのかもしれない。
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