10.春の先へ

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 明日の段取りを終え、総務に用事があると言った百瀬を残し、フロアを出る。 「俺と百瀬が付き合ってるって思ってたの?」  二人だけのエレベーター内、仕事中は崩れない表情が一瞬にして歪む。 「――昨日、泊めたんだろ」  え、とこちらが戸惑うほど低い声だった。 「とりあえず百瀬からと思ってかけたらお前が出るし、百瀬は昨日と同じスーツだし」  言葉に滲む不機嫌さに、揶揄ってやろうと構えた心が崩れてしまう。なんだよ、それ。胸の奥がくすぐったくてたまらない。「可愛い」と浮かんだ言葉が「愛しい」と同義なのだと気づかずにはいられなくて。一階に着くと同時に踏み出し、視線だけで振り返る。 「じゃあ、今から俺のうち来る?」 「……誘ってんの?」 「呼んでやってるんだろ」  自動ドアを抜ければ、柔らかな日差しが降り注ぐ。眩しさに足を止めると、隣に立つ体から薄い影が落ちてきた。 「瞬が来るならビール買い足さないと」 「俺まだ返事してないけど」 「――わかるよ」  木々のざわめきに声が重なる。 「俺、少しだけひとの心見えるから」  知ってる、と言われた気がしたけれど、気のせいかもしれない。  ビルの間を抜ける風が音を攫う。  それは春の先へと向かう温度に満ちていた。
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